非違行為と受忍限度そしてアン・サリバン�@

 先週の非違行為研修「今では許されない」(と勝手に名前をつけていますが)、やって本当によかったなと思いました。

「連絡網を外に持ち出す」

「通知票を家で書くために成績物を持ち出す」

「罰としてトイレに行かせない」

「密室での一対一の生徒指導」

 こうしたことが許されないのはもちろんですが、

「体育の授業でまじめに走らなかったので他の子より多く走らせる」

「宿題をやってこなかったので授業中にやらせる」

「抱きついてきた児童を拒まない」

「嫌いなものを食べられるまで強制する」

などはつい最近まで平気でやってきたことです。

 しかしこれらを非違行為とすべて排除することは果たして可能なのでしょうか。

 先生が大好きで飛びついてくる子を拒否するのはなかなか難しいことです。それに世の中にはしっかと抱き締めてやらなければならない子もたくさんいます。私はそんな子を何人も見てきました。「いい子だね」と言って頭を撫でられると嬉しくて仕方のない子もたくさんいます。中学生だってそうされるのは好きなのです。

「嫌いなものを食べられるまで強制する」も確かに人権蹂躙ですから慎むべきでしょう。しかしだとしたら「苦手な九九を暗記できるまで強制する」はどうでしょう。「嫌いな英語を話すよう強制する」はいかがです?

 算数も英語も給食もすべて学校の指導領域です。特に“食育”は近ごろ強く叫ばれるところですし、極論を言うと、計算や英語なんかできなくてもきちんとものが食べられれば生きてはいけます。あれはイヤこれは食べられないでは健康な生活が送れるはずもありません。

 さらに非違行為として、「子ども同士、あるいは家庭を巻き込んでのトラブルの仲裁で、子どもや家庭の事情を説明して納得してもらう」といったものが上がってくると、もう怖くて仲裁などできません。実際、「先生はなぜ、ウチの事情をあちらに勝手に話したんですか」と非難されることはいかにもありそうですし、そう非難されれば抵抗しようがないのも事実です。

「部活の顧問が保護者の電話番号を携帯に入れたまま持ち歩いている」これはどうでしょう。

 電話番号つきの名簿は個人情報の塊ですから外に持ち出せないのはもちろんですが、携帯の中に入っているものもダメだとなると急な連絡は一切できなくなります。部活中にケガをしても保護者に知らせることができません。

 さらに「テスト中に寝てしまった子を起こすのは試験の公平性において問題がある(だからやってはいけない)」というのはどうしょう。非常に納得がいきませんが、これとて「自己責任で眠った子を起こすのは教師が特定の子を支援したのと同じだ」と言われれば、引くべきことなのかもしれません。

 しかし実はこうした難問も、解くカギがあるのです。

 それは「受忍限度」という考え方です。

「苦手な九九を暗記できるまで強制するのは人権を無視することだからダメだ」という人はほとんどいないでしょう。なぜいないかというと、「九九を暗記する苦しみ」と「九九を覚えないために、のちに受けるだろう苦しみ」とを比べると、前者の方がまだ「我慢できる範囲内(これを受忍限度という)にある」と考えられるからです。

   

                          (この稿、続く)