月曜日のデイ・バイ・デイ「東大秋入学の憂鬱」の中で、その理由をNHKニュースが端的にまとめていたというお話をしました。
その時、「世界大学ランキング」で東大が20位から26位に落ちたという事実を紹介するのに、NHKは不思議なパネルを使いました。1位から10位までの大学名(アメリカの8大学、イギリスの2大学)を示してあとは「・・・・・・」で省略し、26位に「東京大学」と書いてあるのです。
その部分が「・・・・・・」であるのと間の11位〜25位の大学名が書かれているのとでは、見る側の印象が違います。間の15大学はほとんどすべて英米の大学だからです。英米で埋め尽くされた中に東京大学があれば「東大はなかなかやっている」とか「英米ばかりが入るランキングの基準に、問題はないのか」とか「G8のほかの国(仏・独・伊・加・露)は東大より下なのか」とかさまざまな感想が生まれてきます。しかし「・・・・・・」だと単なる26位、とても低いランクに見えます。これは単なる資料の出し惜しみでしょうか。
別件ですが、日本でも学校の教師を大学院卒に限るべきだという話が出たことがあります。学力世界一のフィンランドが1978年の教育改革によって、教員資格取得に修士号の取得が義務付けられるようになったという事実を前提にした話です。
これについては以前書きましたが、フィンランドの場合大学の最低年限は5年で、3年の学士課程と2年の修士課程を終えないと卒業できないのです。したがって大卒は全員「修士」です。「学士」しか持っていない人は皆、中退者です。
「フィンランドが1978年の教育改革によって、教員資格取得に修士号の取得が義務付けられるようになった」ということの本当の意味は、それまでは高卒でも教員に正規採用されたのに、78年以降はできなくなったということなのです(非正規は今でも高卒でOK)。つまり4年制(短大は2年制)と5年制の違いはあるものの、大卒でなければ教員になれない点は同じで、フィンランドが日本の水準に合わせただけです。
日本も教師を大学院卒に限るべきだと言い立てている人たちは、そうした事情を知らないでいるのでしょうか――そんなことはありません。フィンランドの大学教育事情なんて、関係する本を2〜3冊も読めばすぐに分かることです。そうしたことを百も承知で、文科省や学校に圧力をかけているのです。
PISAの2009年版では、日本の成績は幾分回復しました(こういうとき、マスコミも政府も大きく扱いません)。それとともに特徴的だったのは今回、読解力・数学的リテラシー・科学的リテラシーの3領域で、初登場の“上海”が三冠を達成したことです。
そうなると当然、「上海に学べ」という圧力が文科省や学校にかかるべきです(フィンランドのときがそうでしたから)。しかしそうした話はまったく聞こえてきません。
PISA2009以前も格上の韓国や香港・台湾やシンガポールに“学べ”という声はまったくなく、出てきたのはフィンランドや格下のアメリカ・イギリスに学ぼうという話だけです。
アジアを馬鹿にしてのことではないでしょう。そうは思いたくありません。そうではなく「中国や韓国のような激烈な受験競争を再び日本に」と言いたくないのです。過当な受験競争が「学力」を高めると認めたくないのです。そこにも私はある種の歪曲を感じます。
こんなふうに政治家やマスコミは、票や視聴率(販売部数)が欲しいばかりに平気で事実を曲げたり隠蔽したりします。現実をしっかりと学び、声高に叫ばなければならないと思うのはそうした場面に出会ったときです。