教師としての有用なアドバイスは、ほとんど最初の十年にもらったような気がします。それは私が若くてアドバイスしやすかったせいもありますし、中学校というところは教科担任が教室に縦横に入っているため、何か言いたいことが見えやすいという面もあったのかもしれません。
そうしたありがたいアドバイスのひとつに、「子どもの言葉に傷つくな」というのがあります。
その先生はまず「SuperTさん、生徒から『先生なんか大嫌いだ』と言われたら何と答える」と聞きます。普通の答えで「間違い」なのは確実なので、あえて答えずにいると、
「『オレだってお前のことなんか大嫌いだ』では話にならんでしょ。そういう時はね、『そっかァ? オレはお前のこと好きなんだけどなあ』といっておけばいいんだよ。本当に『大嫌い』ならわざわざそんなことを言ってきたりしない。何かあるから言いに来るんだから」
いきなり「大嫌いだ」と言われて「好きなんだけどなあ」と切り返すのは容易なことではありません。私たちはそう言われることには慣れていませんし、言われて好意的な感情を膨らませることはできないからです。簡単に言えば傷つくのです。しかしだからと言って「俺だってお前のことが嫌いだ」では話が進みません。
子どもは自分の感情をきちんと言葉にすることができません(だから子どもなのです)。さらに遡って赤ん坊なら「おなかすいたよー」も「オシメ濡れてるよー」も「お腹痛いよー」も「眠たいよー」も全部「オギャー」の一言で済ませようとします。それから10年15年と経っても、子どもの表現力はそれほど高まっていません。
「先生なんか大嫌いだ」の本当の意味は「もっとオレのこと見ていてくれよ」かも知れませんし「今、ウチ、たいへんなことになってるんだ、オレのこと見ていて気づかない?」とか、「最近、成績下がってヤケクソなんだよ」とか、さまざまな言葉の別表現(オギャー)なのかもしれないのです。
先輩の「『先生なんか大嫌いだ』―『そっかァ? オレはお前のこと好きなんだけどなあ』」はこういうことを教えます。
- 子どもの言葉をそのまま取って、ストレートに反応してはいけない。
- ただしそんな状態できちんとした話などしようがないから、とりあえずすかしておき、あとできちんと取り組む。
- どうせ「すかしておく」なら「将来に展望の開けるすかし方」をしておいた方がいい。相手をいい気分にしておいて損はない。だから「お前のこと好きなんだけどな」
そういうことだと私は解釈しました。そしてたいていの場合、それは正解でした。
「オレはお前のこと好きなんだけどなァ」と言われた子ども、私に背を向けたまま、たぶんニッコニコと笑っていたはずです。