アスペルガーの家族�B

(先週の続きです)

 広汎性発達障害(高機能自閉およびアスペルガーを区別しません)は男性の方が圧倒的に多いのに発言は女性側からしか聞こえてこない、このことについてしばらく考えていました。

 もちろん可能性のひとつは、男性の広汎性発達障害の場合は自己を客観視できないということですが、これについては否定的な事例をあちこちで見ることができます。その上で発言しようという意欲がない、表現への欲望がないということも考えられますが、それも少し違うような気がします。

 結局(と、あまり確信もないのですが)、男性の広汎性発達障害の人たちは“困っていない”、―適応とまではいかなくても“何とかなっている”というのがあるのかもしれません。

 例えばフーテンの寅さんを見ても男性は周囲とのズレを力で押し切ってしまうことができる、「それを言っちゃあ、おしまいだよ、オッちゃん」と逆ギレしてそれで周囲を引かせることができます。亭主関白という言葉があるとおり、家庭内でも不条理を押し通せる場合が少なくありません。

 また研究職や職人といった「こだわり」が有利に働く仕事は、男性の前にこそ広がっているという現実もあります。人との関わりの多い仕事を避け、社会を生きることが女性に比べて楽なのです。

 翻って女性の立場を考えると、そもそも日本には女性が自由に自己主張できるような土壌がありません。女性であっても現代はいくらでも自己主張できる(実際にしている)という人もいますが、やはり圧力は受けます。周囲の状況や道徳を押しつけられやすい立場にいるのです。

 また「控えめでいろ」という社会的圧力は「空気を読め」というのと同じですから、その意味でもさまざまに困難を生じやすい面があります。

 単身赴任の時代は別として、私は家で料理をするということがありません。ですから水に触れることも少なく、生肉のムギュッとした感じを味わうこともなくて済みます。また、たまにやる調理は、それこそレシピ片手の本格料理で、スプーン一杯といったらスプーン一杯、カップ1/2といったらカップ1/2を正確に測ってやるものですから失敗のしようがありません。しかしそんなやり方で主婦は勤まらないでしょう。「砂糖少々」「酢はお好みで」といったことが適宜できなくてはなりません。それもたいへんなことです。

 さらに、単身赴任の私は思い切り自由に偏食していましたが、家庭の主婦だったら好きなものだけを作ると言うわけにもいかないでしょう。

 男性は服装に無頓着でも背広ひとつで用は足りますし、多少不衛生でも“鷹揚さ”として認められてしまう面があります。

 要するに広汎性発達障害の女性は周囲も本人も不適応に苦しむのに、男性の場合、周囲は苦しんでいるのに本人はほとんど苦しんでいないということが起こりうるような気がするのです。

 もしそうだとすると、非常に変則的ですが一部にある種の光が見えてきます。何といっても広汎性発達障害は男性の方が多いのですから、その多い男の子たちに将来にかなり明確な目標が見えてくるのです。

「こだわり」を適正に伸ばし、「こだわり」を生かせる仕事に就けてやればいいのです。社会性に多少問題があっても、日本はそれを受容できる社会的状況があります。

 そして残った、「こだわり」が有利に働く仕事に就けない男性、そして相対的に少ないとは言え厳に存在し困難に直面しやすい女性たち、この人たちの将来像は、また別に描かなくてはなりません。これはなかなか難しい問題です。