お経の話

 義理でお葬式に出たり法事に参加したりすると、長い長い読経の時間が苦痛です。足の痛みに耐えてわけの分からないものを聞き続けるのは容易ではありません。せめて何を言っているのか分かったらなあと思ったこと、ありません?

 幸いなことに私の場合、20代のころにちょっとした経典ブームがあってそのときに少し勉強をしたので、おおまかなことは分かります。お経を聞きながら、「ああ、今、こんなところまで来たかな」と思いながら聞いていると、案外飽きないものです。

 お経というのはお釈迦様が語った内容をまとめたものです。

 もともとは古代インド語(サンスクリット)で記述されたものですが、私たちが知っているのはそれを中国語訳したものです。

 聖書と違って成文化されるのに数百年もかかりましたから、どこまでが本当に釈迦の語ったものかは分かりません。

 またお釈迦様自身も“自分の開いた悟りはあまりにも難しく、常人に正しく伝えることできない”といった態度で弟子たちに接しましたから、弟子や後世の人々は忖度するしかなく、それぞれ自分流の解釈をするので同じ仏教内に様々な異説が生まれました。

 中には“私の夢枕にお釈迦さまが立って語ったところによると・・・”といったものまであって経典の数は数万におよび、そこから(日本だけでも)五系十三宗五十六派と呼ばれる多様な宗派も生まれてきます。

 仏教の全体像を知ろうとしてもなかなか勉強が届かないのもそのためです。

 昔の知識人は漢文の素養がありましたから、たいていのお経は聞いただけで理解できました。しかし「ギャーテー、ギャーテー、ハーラーギャーテー」といった、漢文の素養だけでは分からないところもあります。

 これはサンスクリットをそのまま音写した部分で、中国語に訳しにくい個所(多くは中国にその概念がない)はそんなふうにして残してあります。ちょうどコンピュータの本を読んでいる最中に“アルゴリズム”だとか“ブート”だとかいった英語が出てくるのと同じです。

 読経というようにもともと音読するための文章ですから漢詩のようなリズム感があり、暗唱しなければならないので自然に節がつきます。琵琶法師によって語られた平家物語イスラムコーランが“歌われる”のも同じです。

 さて、お葬式や法事で退屈しないためにどの程度お経の勉強をすればよいのかというと、これが案外少なくてすみます。私が直接本を読んで内容を知っているのは「般若心経(はんにゃしんぎょう)」と「観音経」だけなのですが、たった二つで相当にやっていけます。特に「観音経」はたいていの葬式で聞きますから、「観音経」を知っているだけでもかなりやり過ごせるのです。内容的にもけっこうおもしろいものなので、一度は調べてみると良いでしょう。

 さらに深く勉強したいという人は「理趣経」などから入ると面白いかもしれません。これは本筋というのではなく、勉強の手順としてはむしろ邪道です。しかし、だから面白いということもあります。仏教には様々な側面があります。

          「観音経」 (この程度の長さです)