マニュアル社会

 先週木曜日、早く帰れたので何の気なしにテレビをつけたら「セカイで日本go」(NHK)という番組をやっていました。その日のタイトルは「ニホンのソウジはスゴイ!?」というもので内容は以下の通りです。

 サウジアラビアでは「ハワーティル(改善)」というタイトルで全30回にわたり放送されたニホン紹介のテレビ番組がきっかけで、今ニホンの文化や習慣が大きな話題となっている。「手を上げて横断歩道を渡る小学生」「時間を守る日本人」「拾った財布を交番に届ける」など“ニホン人のマナー”に感動、見習おうという内容。いつもはテレビなど見向きもされないラマダンの時期(断食期)に記録的な高視聴率を獲得した。中でも最もスゴイと衝撃を与えたのが「掃除」。それをきっかけにサウジアラビアでも児童生徒が学校の掃除を行うようになった。
というものです。

 全体に気分の良い内容でしたが番組後半、二つの否定的なことがらが話題となりました。それは電車やバスの優先席と街中いたるところにある注意を促す看板です。番組では「優先席などなくても日本人は席を譲るよ」「優先席がなくても譲るものだ」、あるいは「『ゴミを捨てるな』『スケートボードをやるな』『犬のフンは持ち帰れ』等々、いちいちうるさいんだよ」「こんなのなくても日本人ならできるはずだ」etc.etc。

 注意を促す看板の多さは、世界でも飛びぬけているみたいです。ああそういうものかと思いながら、ああそうだよなと思い返しました。優先席も看板も、いかにも日本的なものだと思ったのです。

 日本というのは“読み”の社会です。日本人は基本的に自己の感情を外に出しませんし、しばしば逆のサインを出したりします。「つまらないものですがどうぞ」とか「バカな息子ですがよろしく」とかいった言葉を額面通りに取ってはいけない社会なのです。

 私たちがそうした複雑な表現をしながら、あまり苦労もせずに日々を送ってこれたのは生活の範囲が狭かったからでしょう。どこどこの○○婆さんはこんな人だ。××家の嫁はこういう感じだとすべて分かっていて、村の掟が自然に学べた時代はそうした安定の上に立ってものごとをいくらでも複雑にできたのです。ところが人間関係の村を離れ、外の世界で交渉が始まるとやや面倒なことが起こってきました。

 例えば、電車の中で座っていたら目の前に初老の人が立つ、そのときこの人が席を譲って欲しいのか譲られたくないのかは、よく知った“どこどこの○○婆さん”ではない以上、非常に微妙な問題となります。座りたいのに立たせたままではいけないし、席を譲ってメンツを潰してもいけません。ただしそこが優先席なら問題の大半はなくなってしまいます。座りたくない老人はその場所には来ないと推測できるからです。

 老人の側から考えても、優先席に近づくだけで「座りたい」という意志を示せますし、その席に座っている若者には席を譲る義務がある考えることもできます。ですから日本人社会ではどうしても優先席が必要になるのです。

 児童公園の入口に立てられている「公園使用規則」みたいな看板も同じです。それをみれば「この公園でボール遊びは可能か、スケートボードはどうか」といった“読み”は必要ありません。安心して遊べます。日本人にはどうしても「使用マニュアル」みたいな看板は必要ですし、効果もあります。

「『ポイ捨て禁止』って書いたって捨てる人は捨てる」という言い方もありますが、それを見てポイ捨てを留まる人も同じくらいいるはずです。