「立つべき人と座るべき人」〜席を譲ることに関する心の葛藤

 田舎暮らしとはいえ電車に乗ることがないわけではありません。ただし超ローカル線ですので昼間はガラガラ。少し混む時間に乗っても私が乗車する区間が短いので無理して席をとるということもありません。たいていは立ってやり過ごします。ですから誰かに席を譲るといったこともありません。

 ところが都会ではそういうわけにはいかないのです。

【日本人の特性?】

 以前、あるテレビ番組で「世界の人々、どれだけ親切?」みたいなコーナーをやっていたことがあります。例えば坂道を歩いている買い物帰りの人が、袋をひっくり返してしまい、そこからオレンジがいくつも転げ落ちる、それをそれぞれの国の人たちがどれだけ拾ってくれるのか、といったことをどっきりカメラ風にやるのです。他にも、外国語で道を尋ねる、子どもが木に引っかかった風船を一生懸取ろうとしている、といった場面を設定して隠しカメラで追うのです。

 大半の設定で日本人は高得点を挙げ、ほぼトップなのですが、ある類型の中では全く成績の上がらないことがあります。それは困っている(らしい)人に声をかけて助けてやらなければならないといった場面です。

 例えば大量の荷物を持って信号待ちをしている若い女性、長い横断歩道をシルバーカーでゆっくりと歩くお年寄り、そういった人たちに声をかけて助けてやることがまるでできないのです。そう言えば電車の中で、お年寄りに席を譲らないことに関して「あれほど親切な日本人がなぜ?」といった感じで特にアジアの国々の人たちから不思議がられています。

 番組では専門家の口を借りて、「シャイな日本人の国民性」のためだと紹介していましたが、私はそうは思いません。

 買い物のオレンジが全部転げ落ちてしまうといった、誰が見たって困っている状況、あるいは道を尋ねる設定のように本人が“助けてください”と明確な意思表示をしている場合、そううことならいいのですが、大量の荷物を持って横断歩道の前にいる女性や電車の中で立っているお年寄りは、“困っている人”かどうかよく分からないのです。

 日本は“読み”の国(黄泉の国ではない)ですから、そうした状況に気づいた瞬間から頭を働かせなくてはなりません。

 たくさんの荷物を携えて信号待ちをしているように見えるのは実は車を取りに行った“彼”を待っているだけなのかもしれない、安易に声をかけて不審者と思われ怯えさせてもいけない、近づいただけでもひったくりと間違われるかもしれない・・・。

 電車の中で立っているこのお年寄りは、実は健康のために立っているのが日課なのかもしれない、年寄扱いされるのが嫌いな人なのかもしれない、降車駅が目の前なのかもしれない・・・。

 そんなふうに“読んでいる”うちに声をかけるタイミングを失ってしまい、いまさら声をかけられない、だったらなんでもっと早く言ってくれなかったのかと怒られるかもしれない・・・、そんなふうに迷っている様子を見て、周囲の人たちは優柔不断だとあきれらかえっているのかもしれない・・・、といった調子です。

【私の場合】

 さて、この土日、かねてからの計画があって東京に行ってきました。

 土曜日は夫婦とも、日曜日は妻だけが、という用件だったので私は日曜日、丸々空いていることになります。そこで先週観ることのできなかった国立博物館「運慶展」国立西洋美術館「北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃に行くことにしました。

 その様子については改めて書きますが、泊めてもらった娘の家を午前9時前に出て、遅い昼食にありついた午後3時半までのおよそ6時間半、二つの美術展のハシゴをずっと立ちっぱなし歩き詰めだった私は、上野駅で山手線に乗るころにはホトホト疲れ果てていたのです。

 ですから乗車するなりすぐに空席を見つけて座り、バッグが邪魔にならないようにきちんと膝の上に置き、そこからはみ出していた携帯の充電ケーブルを押し込んでふっと見上げると、右斜め前に一人の妊婦が立っていたのです。それが問題の始まりでした。

 私が若かったら何でもないことです。さっと席を立って「どうぞ」と譲ればいいだけのこと、その上で「けっこうです」と言われたら座りなおせばいい、それだけです。

 ところがここが厄介なところですが、私はすでに若くない。見方によっては席を譲られる側に回ってもいい年齢なのです。

 問題なのは実年齢ではなく見かけです。

 私の義父は70歳の時、成田空港で同い年の往年のスター、ミヤコ蝶々さんから席を譲られたことがあります。義父は国体の壮年の部にも出たことのある、肉体的には壮健な人です。しかし白髪で眉もひげも白く、見かけはずっと老けていたのかもしれません。一方ミヤコ蝶々さん は芸能人ですから見かけも気持ちも若い。つまり二人は実年齢で言えば互角、体力的には義父の勝ち、見かけだけなら蝶々さんの勝ちです。したがって席を譲られるのもしかたない、譲ってもらうだけの理由はありました(義父も相手がミヤコ蝶々なので喜んで席を譲られた)。

 しかし翻って今の私はどうか。席を譲られる側か、譲る側なのか――。もしかしたら妊婦さんも席を譲りたくなるくらい年老いて見えるかもしれません。そんな私が席を譲っていいものか、妊婦さんが恐縮して困り果てるのではないか・・・。

 私の左の席には若い男の子、しかしスマホゲームに夢中になって(あるいはそう見せかけて)席を譲る気配はありません。右隣は30歳前後女性でウツラウツラ眠って(あるいはそう見せかけて)、やはり席を譲る様子がありません。

 しかし私が席を立てば当然気づくわけで、そうなったら妊婦さんも恐縮する上、両隣の二人は “こんな老人(私のこと)に席を譲らせて・・・”と自己嫌悪に陥るかもしれません。周囲の人たちも“年寄りを立たせて恥ずかしくないのか”と冷たい視線を二人に送るかもしれません・・・などと困っているうち電車は御徒町秋葉原と進み、次は私の降りる神田です。

 そんなに急ぐ必要もなかったのですが早めに席を立ち、その妊婦が座れるように場所を空けました。ドアの前に立ってからチラッと見ると妊婦さんは空いた席に座ることもせず、スマホの画面を見続けていました。近くに立っていた人たちも誰も私のあとに座ろうとせず、席は空いたままでした。

 神田駅で中央線に乗り換えると、そこでも簡単に座ることができました。東京が始発ですからそれほど混まないのです。そして次のお茶の水でドドドッという感じでたくさんの人が乗り込んできて、私の目の前に老夫婦が立ちます。

 老夫婦ですが年齢が読めない。私よりはちょっと上かグンと上なのか・・・。

 私の左の席は七十がらみの和服姿の女性。粋筋らしい人で、スマホをカチカチいじっているので何をやっているのかと覗いたら花札ゲームでした(そんなものあるんだ)。

 右隣はまたもや三十代と思われる女性で、こちらはスマホで写真をパラパラめくっています。

 さて席を立つべきか立たざるべきか――、また悩ましい状況が新宿に着くまで、12分余りも続いてしまいました。

 都会の皆様は、こうした問題にどう対処されておられるのでしょう。