大したものだ

 天気にも恵まれ、素晴らしい運動会が行われました。組体操などでは来賓の方が涙を浮かべておられるなど、随所に感動があふれる、思い出深いイベントとなりました。

 学校で行われるすべての行事は、児童生徒の自主的な活動という擬制をとります。こんなところで教師が「これは私のアイデアだ」とか「ここは(私が)こんなふうに努力した」と言うのはご法度で、一から十まで子どもが作るのが最善、一から十まで教師が作ったとしてもその足跡を全部消し、あたかも子どもがやったように見せかけるのが次善です。

 ただし教師が自分の足跡を全部消してしまうと本気で「教師は何もしなかった」と信じる人が出てきてしまうので世の中ままなりません。もっとも、もとをただせば私たちが仕掛けたことですから、仕方ないと言えば仕方ないことですが……。

 今回応援席で保護者と話していて初めて気がついたことがあります。それは組体操やダンスについて、人々はどこかにお手本があって、それをそのまま子どもに教えやらせていると思い込んでいるということです。

 組体操やダンスの流れ、ストーリー、振付、位置取り、曲選び、衣装……それらすべては先生と子どもが毎年一から創り上げるのだと説明すると、ほんとうに驚いていました(そのことに私は驚く)。

 おそらく、学校以外にそんな世界はないからでしょう。

 何かに際して、企画をつくり、下見や下準備をし、物資を調達し用具を作成し、全部を整えてからそれを実施する。そうした仕事は普通、分業化され専門化され、一部は業者に丸投げされるべきものなのです。

 しかし学校はそれを全部教員がやっている。卒業式も音楽会も運動会も文化祭もみなそうです。間に業者の入る旅行行事だって同じで、業者の提案にそのまま乗っかってしまう教師など一人もいません。

 そう考えただけでも、確かに教師と呼ばれる人たち、大変だし、子どもに対する愛情がなければなし得る仕事ではありません。

大したものです。