あいにくの雨ですが・・・
現代社会のハイテク化を「文明開化だ!」と言ったらそうとう違和感があるのであって、「文明」も「文化」も「モダン」も、元は新しさを強調する言葉だったはずなのに、もうそれ自体が古い印象です。
「文化祭」も、この言葉がつくられた当時はきっと今で言う「NTF(ニュー・テクノロジー・フェスティバル)」みたいな感じだったのかもしれません。
そう思ってみると「文化祭」、そこには昔の学生の意気込みが感じられるような気がします。学生ばかりではありません。そこには、ともにあった教師の息遣いも聞こえてきます。
かつて松居和という人は著書「子育てのゆくえ」の中で、いわゆる「お受験」の合格発表の場で泣く親子について、
わたしは子どものことで親が涙を流すということに素直に感動する。たとえそれが親のエゴであっても、実際に塾でならうことが無意味であっても、そんなことは関係ない。親が子どもとともに一喜一憂することがあり、涙を流すことがあることに大きな意義を感じるのだ。
と書きました。
それは教職員と児童生徒の間も同じで、何かの目標に向かって子弟が手を携え、努力を続け、成功の暁には手を取り合って泣き、喜ぶという場面には、無条件に感動させるものがあります。
小学校の運動会の組体操、中学生の部活動や高校受験、卒業式・・・学校教育の中には、そうした感動はいたるところにあります。
文化祭もそのひとつです。
今日まで積み上げてきた思いや努力、歴史をつくろうとする意志。
今日こそ、子どもたちと先生方の底力、見せてもらいましょう。