PISAの呪縛

 今回の学習指導要領の改善のポイントのひとつは「言語活動の充実」です。

 これは今日のいわゆる「学校問題」が子どもたちのコミュニケーション能力、つまりは言語能力の不足に原因があると考えられるからだ・・・と思っていたのですが、先日聞いた講演会で、そうではない、結局PISA2006(2006年OECD生徒の学習到達度調査)のためだという話を聞きました。

 ああ、そうなのか、その方がよくわかる話だなと私も思いました。

 2006年のPISAの結果、日本は読解力で世界15位まで転落してしまったのです。数学的リテラシー10位、科学的リテラシー6位は我慢するにしても、15位というのは巻き返しを図ろうにも限界があるなと、当時の私も思ったものです。

 政府か学会のだれかも、私と同じように15位に傷つき、指導要領の中核的改善点に盛り込んだのでしょう。それはいかにもありそうなことです。さて、しかしそれは正しいことだったのでしょうか。

 これについてかなり早い時期に噛みついたのは東北学院大学准教授の神永正博と言う人です(「学力低下は錯覚である」2008年)。彼はPISAの参加国が32カ国(2000年)、41カ国(2003年)、57カ国(2006年)と増加していることに注目します。参加国が増えれば順位が下がるのは当然だというのです(100人中10位の成績は200人だと20位に下がるのと同じ)。そこで数を揃えて換算すると、

  読解力       7位→13位→11位

  数学的リテラシー 1位→ 4位→ 6位

  科学的リテラシー 2位→ 1位→ 3位

 読解力の二桁順位は気になりますが、日本の学力が下がっているとか、地に落ちたという印象とはだいぶ違った感じになってきます。しかしそれでもなお、すべてがベスト3に入っていなければ気が済まないとか、10位以下は我慢がならないという人もいるかもしれません。

 そこで、読解力世界一位のフィンランドが、なぜ1位なのかを調べてみます。これには、実川真由 /実川元子 著「受けてみたフィンランドの教育」(文藝春秋 2007)が参考になります。

 フィンランドのテストはほとんどがエッセイ(作文)なのである。英語、国語はもちろん、化学、生物、音楽までもエッセイ、つまり、自分の考えを文章にして書かせるのがフィンランドの高校の一般的なテスト形式である。

      (略)

 エッセイがメインなので、当然彼らはテスト前にそれを書くだけの知識を詰め込まなければいけない。日本のテストでは暗記がカギだとしたら、フィンランドのテストは知識の詰め込みが前提となる。そのため、テスト前学校で見る生徒の多くはやたら分厚い本を抱えていて、それらを読んで、読んで、知識を詰め込むのである。

 フィンランドの図書館利用率は世界最高で、実に良く本を読むが知られています。それは一部はフィンランド人の特性によるかもしれませんが、こうしたテスト形式に負うところも大きいのです。それだけ大量に本を読めば、読解力が高まるのもあたりまえです。

 ただしもちろん、こうした「化学、生物、音楽までもエッセイ」といった状況は、

�@1クラス11人〜20人学級

�A教師は勉強を教えること以外は何もしない

�B午後4時には帰宅できる

といった、たいへんな教師の余裕があってはじめてできることです。私もかつて14人というクラスの担任をしたことがありますが、このとき最も有利だったのは作文指導でした(ただし社会性とかコミュニケーション能力を育てるという意味では、20人以下ではかなり苦しくなります)。

 日本の子どもの読解力を世界有数のものにしたいなら、フィンランドのそういう部分を真似しなくてはなりません。どうですか?

 日本政府、そこまでできますか?