その子の手札を見直す

 以前お話した「受けてみたフィンランドの教育」という本の中に、フィンランド人は計算ができない、という話がありました。とにかく算数数学は授業もテストも電卓持込なので、計算をする必要がないのです。それも高校数学もできるようなスーパー電卓で、あまりにも扱いが厄介なので著者は手計算でテストを凌ぐのがやっとだったといいます。

 暗算というものがまるでダメなので、スーパーへ行っても支払の見通しということができません。

「おそらく、レジで計算してもらうまで、自分がいくらの買い物をしているのか分かっていないだろう」

 ましてや、985円の買い物に1035円出して50円玉のおつりをもらおう、などという高等なことはできませんから、財布の中はあっという間に小銭でいっぱいになってしまいます。

 学力世界一、読解力ダントツの背景にはこうした事情があります。同時にあれもこれもというわけには行かないのです。もちろんだからといってフィンランドの教育がダメだということにはならないのであって、暗算で見通しがつくことと高い読解力があることとではどちらがいいのか、というのは別の議論です。

 さて、教室の中にはさまざまにいびつな能力を持った子が満ち溢れています。「あれ」があれば「これ」がない、といった子どもたちです。中にはあれもこれもないように見える子もいます。しかしそんな子でも、実際にどれほど欠けているのか改めて検証して見ることも必要かもしれません。

 その子の持っている能力や欠けているものを洗いざらいテーブルの上に並べて、いったい何がいいのか、何が困るのか、どうしたらいいのか、何ができるのか、最初から検討しなおすのです。白い紙にただ書き並べて見るだけでも違います。きっと何か見えてきます。

 もちろん性格や能力には有機的なつながりがありますから、うっかりあっちをいじったらこっちがダメになったということも起こりがちです。安易に手をつけるのは危険ですが、それにしても見直しの機会を持たないとあらぬところへ子どもを連れて行ってしまうかもしれません。

 いよいよ通知票のシーズン。子どもを見直すにはいい機会かと思います。