カイト・カフェ

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「教育勅語から”心の教育”へ」~統一的な日本人の思想の創造

 100以上もあった「国」(お前、国はどこ?−群馬です、と答えるような意味での国)を、ひとつにまとめて「日本」をつくろうとした時、明治政府の高官がまず悩んだのは「統一的な日本人の思想」がない、ということでした。西洋にはキリスト教がある、しかし日本にはそれに代わるものがないという悩みです。教育勅語を定めた背景にはそうした不安があり、だからこそ勅語には親孝行など国家の目標としては不思議なものが入っていたりします。

 さて、西洋では教会が、そして中国あたりでは政府・共産党が担っている「国民の心の教育」。日本の場合、それを行わなければならないのが学校教育です。そこに日本の難しさがあります。これまで日本の教員はかなりうまくそれを行ってきました。現在だって相当にうまくやっています。

 山ほどある学校行事や生徒会活動、部活といったものは、すべてこの「心の教育」のためにあると言っても過言ではありません。そのことをいつも心に留めておきたいものです。