カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「ポストカプセル2006」~13年前の教え子の”自分宛ての手紙”を出してやったら返事が来た

 1985年の筑波博の際、当時の郵政省が「ポストカプセル2001」という企画をしました。万博会場の専用はがきを使うと1985年の自分から2001年の自分に手紙が届くというものです。
 その当時、初めてのクラスでたいへんに苦労していた私が、生徒分のはがきを買って書かせ、それが2001年に届いたという話は昔、雑誌にに書いて何人かの先生方には読んでいただきました。
 その後のことです。

 そのあともクラスを卒業させるたびに私は生徒にはがきを書かせ、みんなで決めた年の年賀状として出すことにしてきました。今年、2006年は13年前の卒業生と約束した年にあたります。
 差出人を私の住所氏名にさせておいたので、あて先不明の場合は自動的に戻ってきます。今年の場合は一通の返還もなかったので全員に届いたはずなのに、返事ははかばかしくなく、「筆まめな子は育ててなかったなあ」と反省していたところ、先週、4人分の手紙がいっきに大型の封筒に入れて届けられました。全員28歳になっていました。4人とも女の子で、成人式に会って以来です。

 そのうちの一人は、たいへんなお父さん子で甘えん坊だったので、成人式で会ったときも真っ先に「ご両親は元気?」と訊ねました。親のことを話題にしたのはその子だけです。
 するとその子は口元に手をもっていき、内緒話のしぐさで「元気。離婚しちゃったけど」と小声で言います。私は返す言葉がありませんでした。そしてその同じ日、その子に別のドラマがあったことを今回初めて知ったのです。
 特に理由のあることではないのですが、先生方にも読んでいただきたく、本人の了解なしに全文を裏に写しましたので、よろしかったら読んで下さい。なかなかの名文です。

T先生へ
 M村での生活は、とても幸せだったなぁ・・・なんて実感しています。春には桜・梅並木に囲まれて、夏には◯川で泳いで、バーベキューをしたり、秋には、きのこ探しに山へもぐりこみ、冬には・・・冬の星空が大好きでした。
 高校を卒業して、千葉で暮らしています。
 ここ数年、季節感があまり感じられないというか、桜の開花をテレビで知ったり、夏の暑さは排気ガスアスファルトのせいで異様です。祖父母の家で田んぼをやっていたので、あの頃は、苦痛で嫌なことではあったけど、田植えや稲刈りなど、経験できたことは幸せだったなあとも思います。時間がたって大人になって気づくこと、感じること、いっぱいありますね。

 先生、はがきありがとうございました。
 胸の奥のおくの方が、くすぐったいような・・・。
 今でも中学の頃出会えた友達とは仲良くしています。
 仕事は美容師。写真館で、ブライダル、成人式、七五三などのヘアメイク、着付けの仕事をしています。好きなことを仕事にでき、毎日充実しています。
 親の離婚もあり、楽しいことばかりではなかったけど、周りの友達や、職場の仲間、家族、親戚、みんなのおかげで、楽しく過ごせています。
 父とは、成人式の日に、式の前に会ったきり、もう会っていません。母は父の事が大嫌いで話を出すことすら嫌がります。4人で暮らしていた時、両親のケンカを見ていて、コレも私と弟がケンカするのと同じで、ホントは仲良しなんだと思っていました。
 98%は父が悪いと感じています。けれど、母がどんなに悪く父のことを言っても、私は心の底から父の事を嫌いになれないでいます。

 成人式の日、父へ言いたい事がいっぱいあって、考えて考えて待ち合わせの場所に行ったのに、喫茶店でコーヒーを飲む私に「おまえ、ブラックで飲めるようになったのかぁ」って、その一言で泣いて、泣いて、一時間近く泣き続けて、なにも言えずに別れました。小さい頃、父がタバコを吸う女性が嫌いだってコト、コーヒーをブラックで飲む女性がかっこいいなぁって言っていたコト・・・私は、ブラックで飲めるように、無意識のうちにというか、練習していました。

 私は、両親の事が大好きで、母も、父も大好きで、父は、私の初恋の相手だったのかもなぁとも思います(ああ、母が、私にやきもちをやいていました)。
 私が結婚するのは、いつになりますか・・・不安もありますが、家族を築いていきたいです。

 先生が、私たちに幸せそうに家族の話をしてくれたことを覚えています。私も、あんなふうに家族のことを話せる日が来ればいいなぁって思っています。
 
 お体に気を付けて、私もがんばらなきゃ。まとまりのない文ですみません。