「勤労感謝の日に・・・」

 忙しくて放ったらかしになっていた自宅の畑の整理をしました。○○盆地でも、日陰になる部分は午後も凍りついていて、耕運機の刃もなかなか入っていかず苦労しました。

 私は百姓(*)の経験がなく、12年ほど前初めて60坪ほどの畑を手に入れ、そこから農業の勉強を始めたので当初は楽しくてし方ありませんでした。熟練の効く世界で、まじめにやれば昨年より今年、今年より来年と、耕作者も確実に腕を上げることができます。その腕が上がっていくことと、成果が半年で確実に見えるところが面白かったのかもしれません。トマトなどもしょっちゅう追肥を施し、水も丁寧を与えていましたが、数年して、買い過ぎた苗を物置の横に無造作に植えた方がおいしい実をつけたのを機に気づきました。あれはメキシコあたりの日当たりの良い岩山に、へばりつくように生きていたのが原種ですので、肥料も水も多すぎるとダメなのです。毎日水をやるなんて、最低のことでした。

 植物というものは正直なもので、必要な肥料と水を、必要な時期に必要な分与え、その時どきに応じた手入れをしていけば確実に作物となります。その意味で子どもを育てるのと同じです。子育ても、その子が大人になるまで延々と同じように努力を注がなければならないものではありません。必要な時期に、必要なものを、必要なだけ与えれば、ほうっておける時期も結構長いのです。しかしそれにも関わらず、人間は植物ほどに粒が揃って育ってくるわけではありません。

 それはなぜだろうと、そんなことを考えながら、半日、耕運機を振り回していました。

*百姓

 中国は儒教の国ですから極端に姓が少なく、現在でも600種ほどしかないといわれています。そのため、毛さんや林さんは人口が億単位でいます。昔は姓が100ほどと考えられていました(百には「たくさん」という意味もありますが)から、「国民すべて」という言葉を「百姓」で表していました。ところが実際に「国民」のほとんどは農業従事者でしたので、「百姓」=「国民」=「農民」ということになってしまったようです。私は「百姓」という言葉の泥臭さが好きです。