カイト・カフェ

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「学校の宝物と絵の描き方」~学校の名画から図工の絵を学ぶ

 写真(略)は職員玄関正面横にあるS先生の油彩『雄大』です。162.0cm×130.3cm。第13回日展出品作です。
 本校は歴史ある学校ですが、珍しいことに「書」というものがほとんどありません。先日紹介した体育館の「和貴」、職員室の「学而不息」そして職員玄関にある「愛」くらいなものです。それに対して「絵画」の多いことには本当に驚かされます。まるで学校全体が美術館のようです。その中でもこの『雄大』はただひとつ価格の分かっているもので、備品台帳では400万円ということになっています。万が一学校が火事になったとき、児童の安全が確保されたあとで副校長として命をかけて持ち出しに行くだけの価値のあるものです。
 写真は校長室にあるS先生の画集から採ったものですが、ページをぱらぱらめくっていくと、『雄大』の左下の大きな民家と同じような建物が繰り返し出てきます。例えば『風の村』『早春』といった絵に同じ建物が見えるのです。また私立病院に飾ってある『早春の嶺』は絵全体が本校の『雄大』の裏返しです。
 それもそのはずで、画集にある一つひとつの絵に書かれたコメントには、次のような文があるのです。
「前景から中景にかけては別の場所で取材し、構成したもの」「取材はC市北中村でH岳の方向を向いているが山は意識してかかなかった」「山そのものはF町で取材したが、手前の家はあちこちのスケッチをもとに構成している」「Y岳は右から移動しているので、現場にはこの風景はない」
 つまり、絵の中にある風景は現実のものではなく、あちこちから寄せ集め画面上で作り上げる(構成する)、その構成することを楽しんでいる、ということです。

 児童に絵をかかせている最中、ときどき「ああ、いい絵をかいているなあ」と思ってふっと目を離すと、いつのまにかロクでもない電線をかいて絵を台無しにしてしまう子がいたりします。用もない派手な看板をそのままかいてポスターにしてしまう子もいました。
 見たとおり、本物通りを写したいなら、写真の方がはるかに上なのです。絵は現実とは違った美の世界ですので、画面上ですばらしいことが大切であって、現実通りである必要はないのです。そのことを徹底させてから、私の児童の絵も、少しはましになりました。「あ、ここのところスカスカでさびしいから、あそこから木をもってきて植えてみたら?」ということです。