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「ADHDかもしれない」~不安を持つ保護者との話し合い方

 LDだのADHDだのといった言葉が一般の社会にもずいぶん浸透し、保護者の中にも「ウチの子もADHDではないのかしら?」とう不安を持つ家庭もちらほら出ています。お家の方としては担任から強く否定してもらいのが一番よいのでしょうが、心理学や精神医学の専門家でもない者として、軽々に発言することは慎まなくてはいけません。

 私はかつて非常にエキセントリックな5年生の女子を担任していたことがあります。勉強も運動もかなりできる子でしたが、何かの拍子に拗ねて授業を放棄したり、突然男の子に殴りかかったりするいわゆる「困った子」でした。それでも1年と4ヶ月間ほどは何とかうまくやり、「卒業させる頃までにはめどがつくかな?」と思い始めた矢先、6年生の2学期からどんどん状況が悪くなり、12月の懇談会前にはもう打つ手がなくなってしまいました。

 家庭状況はというと、気はいいがのん気で子どもにあまりかまわない父親と非常にきつい母、大変に優秀で家族の期待を一心に背負った兄、そして祖母といういかにも心理学的な注釈をつけたくなるような家庭です。私は母親の養育態度を深く疑いました。そして専門機関にかけることを考え、それにふさわしいカウンセラーも見つけました。その上で母親と話さなければならないのですが、難しそうな母親なので、言葉遣いには大変気を使いました。

 懇談会の席で、こんな言い方をしたのです。
『お嬢さんの今の状況は大変難しいものです。原因として考えられることは次の三つです。
 ひとつは担任を含めた躾けの問題。
 もうひとつはノイローゼのような何らかの原因による病気。
 そして三つ目がADHDとかアスペルガーといった障害です。

 二番目も三番目の薬がよく効いたり対処法がある程度確立したものです。一番目の躾けの問題が一番厄介ですが、病気や障害ではないという意味では気持ちは楽です。

 こういうことは病気や障害が見つかれば『見つかってよかったね』ということですし見つからなければ『なくてよかったね』といって喜び合うべきものです。よろしかったら私に心当たりがありますから、診てもらったらいかがでしょう?」

 ここで肝心なことは「躾け」を「親の躾け」にしてはいけないということです。学校でのことですからまずは「担任の躾け」といったところから始めるべきでしょう。それに「そちらが悪いから・・・」から始まった話では、通るものも通りません。まずは下手に出てこそ聞く耳も生まれます。

 この『原因として考えられる三つのこと』は大枠において間違っていません。その後も何回か使いましたが、大体は上手く運びました。

 さて前述の女の子、結果はどうだったかというと、私のまったく予想しなかったLDが出てしまいました。耳から入る数字がほとんど理解できないのです。ストレスの原因は母親ではなく、そういうことに気づかずに算数の授業をどんどん進めた私だったのです。
 そう思って思い出すと、確かに宿題の答え合わせの時など何度も聞き返していましたし、その態度がいつもふざけた調子だったので、私はしょっちゅう叱っていたのです。しかし彼女にしてみればそんなふうにオチャラケながら、必死に数字が覚えられない自分を隠していたのですね。ほんとうにかわいそうなことをしました。