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「学校に行けない状況はまず分析されなくてはいけない」~不登校もいじめも過去最多について⑥

不登校にはさまざまなかたちがある――。
そんな当たり前のことが長いこと見過ごされてきた。
保護者や教師は現場で現実的な対応を続けてきたが、
マスコミや政府のレベルでは今も平板だ。
という話。(写真:フォトAC)

 不登校や心理の専門家の言う「受け止めてください」「受け入れる姿勢で」「寄り添って」、あるいは「こころの居場所をつくって」「そのままのキミでいいよと知らせてあげて」等々について、具体的にどういうことなのか考えてみたいと思います。
 しかしその前に、これらの助言がまったく意味をなさない不登校もいるので、まずその点について考えておきます。

【「登校拒否は病気じゃない」の功罪】

 1989年に出版された奥地圭子「登校拒否は病気じゃない」は、不登校の歴史に一線を画した書でした。それまで一般的には不登校の原因は家庭にあると考えられ、保護者(特に母親)の育て方にこそ問題があると思われがちだったのに対し、公然と異を唱え、これは学校で起こる問題である以上、学校のありようにこそ課題があると突っ撥ねたのです。“親に責任があるわけではない”という考え方は、それまで子育ての失敗を外から責められ、自責の念にも苦しんできた保護者を一気に開放し、「不登校=学校問題」はあっという間に世間の常識となっていきます。
 こうした認識を文科省も追認し、「問題は個々の児童生徒にあるのではない」「不登校はどの子にも起こり得る」と強く学校を指導するようになったのです。

 しかしこれには困った問題が付随しました。不登校が「どの子にも起こり得る」となると、個々の性格や成育歴、環境などはまったく問題なくなってしまうのです。ちょうど「新型コロナウイルス感染は誰にでも起こり得るから、感染者の性格や成育歴などは調べる必要はない」と同じです。
 したがって奥地の主張が力を持っていたしばらくの間は、個人を問題とした研究や対策はほとんどできなくなってしまい、学校改革のみで不登校を減らそうという試みが長いこと続くようになりました。しかしそれはあまりにも現実離れした理論だったのです。

 実際に「この子はどうやっても学校に来なくなることはないだろう」と思われる子どもは大勢います。学業成績がよく、部活や生徒会で十分活躍できて友だちも多い、そんな子が学校を忌避するはずがありません。こうした子を不登校に追い込むには、昭和初期のメロドラマ並みの不幸を次々と見舞わせる要がありますが、そんなことは稀です。

 しかし「登校拒否は病気じゃない」の最大の罪はそこではなく、「病気じゃない」と突き放したために「病気で学校に来られない子どもたち」が見落とされがちになってしまったことです。

【病気だから学校に来られない】

 もちろん入院を必要とするような明らかな疾患での欠席は不登校として計算しません。しかし原因がはっきりしない軽微な疾患の場合は、しばしば見過ごされました。
起立性調節障害」は誤解されることの多い病気で、見過ごされることも多い代わりに、医師によってやたらつけられる病名でもありました。
 もちろん子どもが朝起きられず学校に行けないと言い出したらいちおう頭の隅に置いてみるべき病気ですが、逆に医師によって「起立性調節障害」と診断されたからといっても、心の問題である可能性は捨ててはいけません。どちらに転ぶか分からないところがあります。
 
睡眠障害」も学校に来られない場合にありがちな病気です。「小児うつ病」の可能性がないわけでもありません。「不登校」そのものに「子どもの適応障害」という病名をつける医者もいますが、自同律じゃないかと私にはよく分からないところです。

 いずれにしろ病気が原因の不登校は、病気を治すところから始められません。「その子の居場所を探そう」などと言っている場合ではありません。場合によっては、十分に吟味しないととんでもない病気を見逃してしまう可能性もあります。

発達障害について考慮する、いじめ・体罰は最優先】

 発達障害不登校の基礎にある場合もあります。
 ADHDの子の衝動性はしばしば学級内に軋轢を生み出します。自閉スペクトラム症の子の人の気持ちの読めなさは、時に人の心を傷つけたり余計な闘争を引き起こしたりもします。両者は時にとんでもないトラブルメーカーで、友だちにそっぽを向かれる場面も少なくありません。そして友だちを失った子は登校の意志を挫かれます。
 この子たちには特別な支援が必要です。そうと分かったら一刻も早くスイッチを切り替えなくてはなりません。

 いじめや体罰が訴えられたら最優先で解決を図ります。これも寄り添い方を考えている場面ではないでしょう。根本的な解決は先送りにするにしても、苦しんでいる現在の状況はすぐにも止めなくてはなりません。いじめや体罰を完全に潰したあとでも登校できなければ、そのときに新たな方策を考えます。

 いずれにしろ原因がはっきりしている不登校については、まず原因を除去すること。それが済んで初めて、寄り添ったり、受け止めたりすることを考えなくては行けません。
(この稿、続く)