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「オリンピック閉幕、そしてシンクロ井村コーチの『叱る絶対三点セット』」

 リオデジャネイロ・オリンピックが終わりました。
 開幕前は冷静で、むしろ“しらけている”といった感じでカッコウをつけていた私も、いざ始まってしまうと完全に飲み込まれ、毎日一喜一憂しては胃を痛める生活が17日間も続きました。高校野球も終わり、これでやっと落ち着いた日々が送れます。

 それにしてもつい一か月前くらいまで「これでほんとうに実施できるのかしら?」と怪しんだリオデジャネイロ・オリンピック。教師っぽい言い方をすれば、「やればできるじゃないですか。頑張りました」と言ったところです。

 ただしIOCの役員などはここに至るまでずいぶん肝を冷やしたはずで、もう二度と第二列、第三列の国での開催なんか認めるものかと決心した人もいたかもしれません。
 思えば二年前、2020年のオリンピックを争ったのは東京とイスタンブールでした。決まった東京もあたふたしていますがトルコの現状を考えるとイスタンブールでなくてほんとうによかったと思っている関係者もかなりいるはずです。
 トルコですらああなのですから今後の開催地を決める選定作業はほんとうに難しくなりそうです。2024年がどこになるのか。6年後の政情を予想しながらの選定ですからたいへんです。そうした観点からも注目していきたいと思います。

 さて、今回のオリンピックでも心に残るいくつかのことがありました。そのひとつはシンクロナイズド・スイミングの井村雅代コーチです。
 オリンピック期間中に66歳になったこの日本チーム代表コーチは、若いころ選手として日本選手権で二度優勝し、ミュンヘンオリンピックでは公開競技として行われたシンクロに出場しています。
 私たちの先輩で、大阪市内の中学校で保健体育科の教諭を務めた後シンクロ指導者となって1978年から日本代表コーチに就任しました。1985年に「井村シンクロクラブ」を創設。独特の指導法で世界的な選手を次々と育ててきました。
 日本のシンクロナイズドスイミングの基礎を築いた指導者として「日本のシンクロの母」と称され、後に北京オリンピックの中国チームの代表コーチとなって中国でも「シンクロの母」と称されているようです。2013年にロンドン・オリンピックのイギリス代表コーチに就任し、2015年に日本の代表コーチに復帰しています。

 もともと教員だったこともありますが、やたら厳しいとされるこの人の「叱る絶対三点セット」は、教育や指導を生業とする者に多くの示唆を与えます。それは優秀な指導者なら必ずやっていることを端的にまとめたものです。

  1.   相手の悪いところをハッキリ指摘し、
  2.   次に直す方法を指導する、
  3.  最後にそれでいいかどうか、直ったかどうか、OKかNGかをきちんと伝える

 ごく当たり前のことですが、同時にたいへん難しく、続けることも容易ではありません。
 私も若いころはいくつかの部活顧問としてそれなりに努力しましたが、いずれも選手経験のない種目で最初の「悪いところをハッキリ指摘し」からなかなか難しいものでした。何が悪いのか、指導の初心者には分からないのです。特に試合中に押し込まれたとき、なぜそうなっているのか分からない。何か悪いところがあるはずなのにそれがどうしても見えてこない、そういうことが多いのです。

 もっとも悪いところがわかっても「直す方法を指導する」の「直す方法」が分からなければ指導もできません。そうなるといきおい精神論です。
「落ち着け!」
「もっと攻めろ!」
 それでは生徒は何をしたらよいのかわからないのです。

 3番目の「それでいいかどうか、直ったかどうか、OKかNGかをきちんと伝える」は要するに評価とフィードバックです。与えた課題に向かって努力できているか、達成できたかどうか、できていないとしたらどこをどうすればできるか――。
 井村代表コーチは選手に言わせると「ものすごく怖い」のだそうです。テレビでも怒鳴りまくっている様子ばかりが映し出されますが、怒鳴れば怖いというものではありません。
 顧問時代の私も怒鳴ってばかりいましたし、見かけだけで言えば井村雅代よりはるかに恐ろしいのですが誰も私を恐れなかった。ヒステリックな怒鳴り声や形相は“怖さ”を保証するものではないのです。
 井村コーチが怖いのは怒鳴るからではありません。彼女の怖さは選手の欠点を忘れず、指示した課題が克服できているか必ずチェックするからです。
 私のように指示したこと自体を忘れたり毎日のチェックを怠るコーチだと気を抜く余裕が生まれます。何日もほったらかしておいてある日突然思い出し、「できてないじゃないか」と怒鳴っても選手は素直になれません。「だったら毎日見ろよ」と言いたくもなります。井村コーチははそうではないのです。必ず毎日チェックして、でき具合を伝える、分析的な目が常に光って容赦ないから“怖い”のです。

 強力な指導者というのは常に同じです。私のたびたび引用する山本五十六の、
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」
も、どうやったらできるかをきちんと伝えきちんと評価するという点でまったく同じで、その上で「良くできた」と褒めるか「できていないじゃないか」と叱るかはほとんど個性の問題でしょう。

 ところで井村コーチは2年の間、一度も“怒った”ことはないという話も出ています。彼女は常に“叱った”のであり、怒ることはなかったという意味です。
 これもまた示唆に富む言葉です。