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「老SNSは死なず、ただ互いから見えなくなるのみ」~SNSの流行と変化について行けるのか④ 

 結局、文化は圧倒的な代替品が出てこない限り生き残る。
 だからFacebookTwitter(X)もなくならない。
 ただ多様化が進み、
 互いが見えなくなるのみのことだ。
という話。(写真:フォトAC)

【ここまでの流れ】

 考えてみれば四半世紀ほど前、自分のwebサイトを持って、
「ああこれで世界に発信できる」
と意気込んだ日から、BBSで丁々発止のやり取りを続け、やがて「荒らし」に荒らされてBBSを放棄し、ブログを自らの主戦場としてやってきた20年――全体としてはジリ貧ですが、なんとかこの世界で発言し続けることはできました。

 その間にFacebookTwitterの興隆があり、重ねてYoutubeInstagramTikTokなどのSNSが次々と生まれ育ってきます。私はそのすべてにアカウントを持ちましたが、FacebookTwitterYoutubeなど、どれもうまく利用できていません。
 そうこうしている間にFacebookTwitterはすっかりオジサンのアイテムになって来て、現代の若者はYoutubeInstagramTikTokを主戦場として表現を鍛えるようになった、私はさすがについて行けない、今週はそんな話をしてきました。
 今後はYoutubeInstagramなどが主流となって、その他は廃り、駆逐されていくだろう――そんなふうに言われています。
 しかしそんなことってあるのでしょうか?

FacebookTwitter(X)はなくなるのか】

 ポケベルが駆逐されたのは、文字通信という意味では同系ながら、圧倒的に便利な電子メールが登場したためです。しかもそれが携帯端末で使えるようになった――。
 一時期日本国内で圧倒的人気を誇ったmixi(ミクシー)が衰退したのも、ほぼ同じ系列で圧倒的にグローバルなFacebookTwitterが国内に入り込んできたことやmixiスマートフォンへの対応の遅れ、機能やデザインの停滞などが理由として上げられます。
 要するに同じ種類でよりよいものが出現すると、文化は新奇なものに取って代わられる性質があるわけです。

 しかし新しいものが古いものを圧倒的に凌駕しなければ、古い文化は完全にはなくなりません。
 あれほどバカにされながら日本社会からファックスがなくならないのも、二槽式洗濯機がなくならないのも、アナログレコードやそのプレーヤーがなくならないのも、あるいはブログ全盛の時代も企業がWebサイトを運営し続けたのも、巨大掲示板2ちゃんねる」が「5ちゃんねる」と名を変えて現在もなかなかの利用者を抱えたまま生き残っているのも――結局は新しいものが古いものを吸収し切れていないからなのです。どこかに便利さが残り、だれか利用を続けている、つまり需要が残るのです。
 となるとFacebookTwitterも、衰退したと言われながらもこの先かなりの規模を抱えたまま、生き残って不思議がない――というか生き残る可能性の強いことが見て取れます。

【老SNSは死なず、ただ互いから見えなくなるのみ】

 考えてみればFacebookTwitterをやめてYoutubeInstagramというのはかなりの壁です。テキスト中心文化から画像中心文化への移行ということですから、静止画または動画で人々の心を動かす技量がないと、同じものを表しても表現の低下を来してしまいます。
 さしずめ私などは典型で、同じことを文章か写真で表せと言われれば迷わず文章を選びます。私とて文章よりも優れた表現のできる写真が数枚、ないわけではありませんが、「常に一定レベルで」ということになったらとてもではありませんが画像に頼るわけにはいきません。それに今さら動画編集を学ぶのも面倒です。

 かくて結論が見えてきます。
 この先どんなに衰退するにしても、ほぼ同じ機能をもちながらさらに付加価値の絶対に高いSNSの生まれない限り、FacebookTwitter(現在はX)はなくならない。YoutbeやInstagramにもやがて乗り越えられる日が来て、しかし今日まで貯えた財産がなくなることもありません。
 私も安心して今の状況を続けて行きましょう。ムリしたところで、先もあまり長くありませんし。

 人々は自分にあった場所に居続け、多様化は進みます。しかし同時に、異なるプラットフォーム間での分断も進みます。もしかしたらそれはネット空間にいくつもの島宇宙をつくるようなものかもしれません。