ネットを単なる通信手段と考え、
それを使って行うコミュニケーション自体を楽しむ人々。
公開の場で、歯切れのよい言葉を使って戦おうという人々。
そして長文にふける人たち――それぞれが居場所を見つける。
という話。(写真:フォトAC)
【ネット上に文章を書きたがる三つのタイプ】
ネットやSNS上に文章を書きたがる人には、三つのタイプがあるようです。
ひとつは短文を好み、家族・友人・恋人といった小さなネットワークを愛する人たちです。彼らは日常的なコミュニケーション・ツールとしてメールやSNSを使いたがる人たちで、大雑把に言って昔はポケベルの語呂合わせを使いまくり、携帯メールからLINEへと移ってきた人たちです。
ただしLINEなどは好むと好まざるとに寄らず、一般に使わざるを得ない環境ができていますから、LINE使用者だからといって文章を書くのが好きという訳でもありません。私も常用していますが、表現の場というよりは必要で便利だから使っているにすぎません。
二番目は同じく短文を好む人々ですが、ネットおよぴSNSを社会的な発言の場と心得る人たちです。
かつての彼らの主戦場は日本語で「電子掲示板」と呼ばれたBBS(Bulletin Board System)でした。あの有名な巨大電子掲示板「2ちゃんねる」は「5ちゃんねる」と名前を変えて現在もかなりの数の訪問者を抱えていますが、字数制限がなかったことから長文好みの人々もけっこう混じって、丁々発止のやり取りが続きました。2000年から2010年にかけてのころのことです。
2ちゃんねるが社会的に注目されたのは2005年の西鉄バスジャック事件で、犯人少年が犯行予告を書き込んでから凶行に及んだためで、そのころすでに「アゲ」だの「サゲ」だのと言った隠語や暗黙のルールの多い場で、一般人には敷居の高いものでした。しかもいったん中に入ると非常に粘着質に絡んでくる人がいたり、意図的に論議を荒らす「荒らし」が跋扈したり、冷笑的で不機嫌な人々がいつまでも不毛な論議を重ねるようになったりします。中毒性の高い場所でもあり、今日SNSが「炎上」に至るすべての要素が、この時期、この場所で用意されたといっても過言ではりません。
やがてそんな不毛な論争に疲れた人々の中から、長文派の一部がブログに合流し、Facebookに流れ、意見表明型短文派の人々がTwiterに向かったという印象があります。FacebookとTwitterの日本語版が提供されたのは2008年ですが、以後ブログとTwitterとFacebookの三頭体制は、かなり長く続きました。
もちろん大雑把な流れはそうですが、長文派の人々はブログやFacebookが登場するずっと前からネット上に常駐し、自らの表現を鍛えていたことも忘れてはいけません。
【長文派は真っ先にネットに飛びついた】
昨日、私は、
「考えてみると私はIT技術についてことごとく世間に後れを取りながら、しかしかろうじて後追いだけは続けてきた日々でした」
と書きました。携帯電話に遅れ、windwsパソコンに遅れ、メールの使用にも遅れたという意味ですが、発言の道具としてインターネットの利用についても実は大きく遅れていました。
1999年に初めてのWebサイト「ああ言えばこう言う辞典」を立ち上げたときも、すでにネット上には現役教師による優秀なサイトがいくつもあって、なかなか割って入ることはできませんでした。
Webサイト作りに参入の遅れた分、htmlを学んでチマチマとタグを打ち込むような苦労もありませんでしたが、「ホームページ作成ツール」で簡便にサイトが作れる時代は、だれにとっても簡単な時代なのです。ネット社会の常で「最初に始めた者」が勝ち、「これはいけそうだ」と後から入っていく者にチャンスはないのです。
しかしそれでも熱心に取り組んでいるうちに、時代はいつの間にかブログ中心社会へと移って行きます。これにも私は乗り遅れます。
Webサイトとそれに附属するBBSの運営に手いっぱいで、新しいものに手を出す余裕がなかったのです。それにレイアウトなどでの点で、ブログはサイトほどに自由ではありませんでした。よりレベルの高い技術を持っているのだから低いものに合わせる理由はないと、そんなふうにも考えていましたが、人々は装飾より実利、面倒より簡便を好んだのです。集客の面でも有利なこともあって、私も仕事の半分をブログに渡し始めます。
やがてFacebookやTwitterのうわさも私の耳にも入るようになってきます。先ほどお話しした世間の動きに、少しずつ遅れてのことです。
【サービスは増えるが追いきれなくなる】
私もFacebookとTwitterの双方にアカウントをもって、Facebookの方は本名で運営して知人や元教え子との交流の場にしていますが、Twitterは使い方が分からず、ブログの更新通知を書くだけでほとんど活用できていません。
Twitterがそれまでのソーシャル・サービスのどれとも違った点は、投稿文に全角で140字、半角で280字までという制限があったことです。これで発言の平等性は保たれ、文章の上手い下手の差は減じられ、より会話に近い環境が用意されます。
英語なら280字は280字の意味しかありませんが、日本語には漢字があって、どんなに画数の多い漢字でも全角で1文字にしかなりませんから、140字に詰められる情報量は膨大です。とても使い勝手がいい。しかしそれでも私にはサイズが小さすぎました。どう扱っていいのか、かなり持て余すものだったのです。
そして気がつかないうちに、今度はYouTube、Instagram、TikTokといった画像・動画を中心とするサービスが大きく広がってきます。私もすべてにアカウントを取りますが、はて、これをどうやって使ったものか――。
(この稿、続く)