カイト・カフェ

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「まさか子どもたちが文に耽り込むとは!」~SNSの流行と変化について行けるのか② 

 振り返るとインターネットの黎明期、
 誰がこれほど大量の、
 読み書きをする若者の出現を予想できたのか。
 しかしそれには理由がある。
という話。(写真:フォトAC)

【まさか子どもたちが文に耽り込むとは!】

 考えてみると私はIT技術についてことごとく世間に後れを取りながら、しかしかろうじて後追いだけは続けてきた日々でした。
 例えば1990年代の半ばに同僚や後輩たちが今ではガラケーと呼ばれる「携帯電話」を持ち始めた時ですら、時代に遅れていました。21世紀になるまで携帯電話を持たなかった数少ない人間のひとりだったのです。
 何より当時の携帯は機材および通信費が高額でしたし、それ以前から妻がピッチ(PHS)と呼ばれた簡易型携帯電話を持っていたので、私も持つと都合のよいリモコン受信機にされてしまい、コキ(子機)使われることが目に見えていたからです。さらに言えば電子メールというものの便利さが分かっていなかったこともあります。あんなものが流行るはずがない、すぐに廃ると思い込んでいたのです。

 そこから数年経って1997年に論文を書く必要からコンピュータを購入し、インターネットにつなげて私自身がメール・アドレスを持つようになります。そして必要から電子メールで大学の先生や学生とやり取りするようになるのですが、その時点ですら一般社会で、電子メールが情報交換の主軸になって行くなど、夢にも思っていなかったのです。
 電子メールの可能性について、そこまで懐疑的だったのには理由があります。それはいつの時代にも新しい文化の担い手である若者が、簡単に文章に手を出し、日常的に手紙(メール)を書くなど、とうてい信じられなかったからです。
 私の教え子たちの9割は、わずか5行の日記に苦労し、原稿用紙1枚も容易に埋め尽くせない子だったのです。とてもではありませんが、自主的に文字を書くなど絶対にありえないと思っていたのです。
 ひとりひとりが携帯電話を持って通話できる時代が来るというのに、なぜ文章で情報交換しなくてはならないのか――。

【作文も日記も書けないが、メールなら書ける】

 しかしそれはメールという通信手段や若者という存在に対する私の認識不足から発した誤りだったようです。

 今はLINEがその役割を担っていますが、若者たちがメールで行うのは日常的なコミュニケーションであり、基本的にはよく知った者どうし、肩の凝らない言葉で行う他愛ないやり取りです。知己が前提ですから文章の稚拙や内容の不備は、既有知識や共有概念で補えます。それに対して学校の宿題として出される日記や感想文は、より深い思考や議論を伴う形式で、読み手の持つ知識や概念をどこまで当てにしていいのかはそれ自体が問題となります。
 親しい人間に送るメールやLINEメッセージは、日常のおしゃべりを書き写しただけでもいいのに、日記や感想文はそういう訳には行きません、
 考え見れば“若者”はポケベルの時代ですら「語呂合わせ」や「ポケベル打ち」で他愛のないおしゃべりをして来たのです。それがメールにとって代わられただけなのです。メールの方が圧倒的に便利でしたから、ポケベルは駆逐されるしかありませんでした。

【通話が楽とは限らない】

「携帯電話による通話という簡便な方法があるのに、敢えて時間のかかるメールなど打つはずがない」というのも私の誤解に基づきます。

 若者が、メールやLINEメッセージを好んだ第一の理由は、それらが非同期コミュニケーションだからということです。メッセージは相手の都合によって開けばいいのであって、通話のように半強制的に呼び出されることはありません。商談の際中だったり固定電話で通話中だったり、あるいは運転中、映画館での映画鑑賞中、昼寝の際中――そういった時間帯に相手を呼び出して怒らせる心配を考えると、メールやLINEは優しい情報手段だということが言えます。

 通話は、何の準備もせずに始められ、時間も短くて済む、という利点があります。さらに(私などはそれがいちばん重要だと思うのですが)受話器を通して聞こえてくるさまざまな情報――相手の困惑や不機嫌、誘いに乗ってくる感じやちょっとした逡巡、そうしたものを嗅ぎ取って臨機応変、話の方向を変えたりなだめたり、追加の情報を出したり訂正したりといった即妙の対応もできます。しかし取り返しのつかない失敗も、当意即妙と思われたそのやり取りの中から生まれやすくなってきます。

 メールやLINEメッセージは、予め文章をチェックできるという点で失敗の少ないやり方と考えることもできます。しかし文章を読む相手の表情は見ることができず、一度失敗すると形に残るわけですから、完全に言質を取られることになり、危険と言えば危険な面も少なくありません。しかしそれでも、受話器の中の声や息に耳を澄ませるといった面倒に比べると、メールやLINEは楽なのかもしれません。

 さらに言えばメールの初期に使われたアスキーアートや絵文字、スタンプなどは、メールならではの新たな表現として若者に受け入れられたということも記録しておく必要があります。
(この稿、続く)