カイト・カフェ

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「どこに鬼畜はいるのか」~“東須磨小、教員いじめ事件”について①

 神戸におけるいわゆる“東須磨小、教員いじめ事件”
 加害者4人に関するメディアの対応は、今や私刑の領域に入った
 しかし加害教諭4人のやったことも鬼畜レベルで許せるものではない
 この問題は どう解釈したらよいのだろう

という話。

f:id:kite-cafe:20191028071245j:plain(「鳥とモノトーンの世界」PhotoACより)

【加害者4人に関するメディアの対応は、今や私刑の領域に入った】

台風19号の被害でも、ラグビーワールドカップにおける日本の活躍でも、即位礼正殿の儀でもこの話題は消せないのか」

 先週木曜日にいったん載せようとして、迷った挙句、取り下げた私のブログ記事の書き出しです。「この話題」というのは神戸市における、いわゆる「東須磨小、教員いじめ事件」のことです。

 載せるのを躊躇したのは即位礼正殿の儀の翌日(23日)、さすがにおめでたい話題の多い中でこの件にかんするメディアの扱いがとても小さかったからです(私の知る限り、テレビのニュースワイドは1件、ネットニュースも1件だけでした)。このまま消えてしまうのかもしれないと思いました。消えるなら無理にほじくり返すこともありません。

 ところが24日になって「加害教員の給与差し止めへ 神戸市、条例整備を検討」(2019.10.24 神戸新聞)という記事が出て、神戸市が法の不遡及(法令の効力はその法の施行時以前には遡って適用されないという法の一般原則)を侵しても世論になびき、加害者とされる4人の給与を差し止めようとしていることを知って改めて記事にすることにしたのです。

 4人はすでにネット上で氏名も顔も晒され、学歴や職歴、家族構成から子ども通う学校まで調べられて拡散しています。

 週刊誌は『イジメ教師は後輩男女教諭に性行為を強要した』と確証のない話を記事にし(17日「週刊文春」)、それは夕刊紙(17日夕刊フジ)に「神戸教諭いじめで『性行為』強要か “女帝”40代教諭はあきれた謝罪、批判相次ぐ」という表題で引き継がれます。
 さらに25日になると「神戸教員いじめ・主犯格女教師に『元校長の愛人説』と『教壇復帰の可能性』」(デイリー新潮)といった表題が広告に踊り、メディアによって“女帝”と呼ばれた女教師は、「年甲斐ものなく若い男性教諭に肉体関係を迫ったり、別の若い男女に性行為を強要したりする異常性向をもった元校長の愛人」という形で人々の頭の中に記憶されます。

 記事を読めばどれも他愛ない伝聞ですし、“性行為”というのも字面ほどには生々しいものではなく、またそれを強要したのも“女帝”ではなく男性加害教諭のひとりということがわかります。しかし週刊誌や夕刊紙を次々と買って内容確認する人はまれですし、ネット上の要約記事ですらしっかり読まず、タイトルを眺めただけで済ませる人は大勢いますから、誤解は事実としてなって人々の記憶に彫り込まれる、まさにデジタル・タトゥーです。

 数年もしないうちにネット上の週刊誌やテレビニュースの記事は削除されますが、個人のブログやサイトから消えることはありません。
 “女帝”は生涯こうした記事に悩まされるはずです。もうそれで十分ではありませんか?

 しかしかなりの数のネット市民が「制裁は足りない」と考えたようで、神戸市はその声に応えて給与を奪おうとしているのです。

 私にはもうそれだけでも十分に私刑だと思うのですが、人々は古代ローマの闘技場の観衆のように、親指を下に突き立てて
「まだ足りない! もっとやれ!」
と叫んでいます。

 

【それにしても加害教諭4人のやったことは鬼畜レベル】

 ではなぜ人々はそこまで厳しい処罰を望むのでしょうか。
 それは被害者教諭が受けたという“いじめ”の中身を見てみればすぐにわかります。被害者教師の訴える“いじめ”のうち、暴力的被害と強要被害に絞って取り上げると以下の通りになります(以下、教育委員会調べ:関西テレビ報道による)。
・平手打ちされる、蹴られる
・コピー用紙の芯で尻を叩かれる
・熱湯入りのやかんを顔に付けられる
・乳首を掃除機で吸われる
・羽交い締めされ激辛カレーを食べさせられる
・首を絞められ呼吸困難
・ビール瓶を口に突っ込まれて飲まされ、瓶で頭を叩かれる
・激辛ラーメンを無理やり食べさせられ嘔吐、けいれん、しびれ
・焼肉のたれやキムチ鍋のもとなどを大量に飲まされる
・大量のお菓子を口に詰め込まれる
・車での送迎を強いられる


 こちらはまさに私刑そのもので、よく死なずに済んだと感心するほどです。
 さらに言えば学校という一段高い道徳性を求められる世界に、これほどの極悪非道を行える人間がよくも入り込んでいたものだ、しかも4人も――そうも思います。

 私など、飼っているウサギが病気で苦しんでいるのを見ることすら苦痛です。それが、殴るける、熱湯入りのやかんを顔に押し付け首を絞め、ビール瓶を口に突っ込んで飲ませた上に瓶で殴るわけですから、鬼畜の仕業としか言いようがありません。
 なぜそんな恐ろしいことができたのか――そう考えていくとさらに不思議なことに思い至るのです。

                        (この稿、続く)