カイト・カフェ

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「2024年の薄暗い始まり」~しかしがんばろう 

 元日早々の大きな地震
 能登の方にはあまりにも気の毒な2024年の始まり。
 それとは比ぶべくもないが、私もまた不運な年の始まりだった。
 だが頑張ろう、やり直そう。
という話。(写真:フォトAC)

【2024年の薄暗い始まり】

 元日の夕暮れ近い時刻、私と妻と娘の形態が一斉に緊急地震警報を鳴らし、息子の配偶者は実家に向かう特急電車の中で同じ警報を聞き、その配偶者を見送ったついでに街で遊んでいた息子のアキュラは、田舎の私鉄の2両しかない電車の中で同じものを聞きました。娘婿のエージュは自分の子どもたちと公園で遊んだあと、運転していた自家用車が赤信号で停まっている最中に警報が入り、信号や電柱・電線が激しく揺れるのを見ていたといいます。それが私の周辺の人々に起こった、あの時刻のできごとです。
 大したことはありません。何も壊れず、誰もケガをせず、避難の話もまったく持ち上がらないような、震源からかなり遠い場所での出来事です。

 テレビは一斉に緊急放送に変わり、NHKは情報画面を、民放はすべて同じ輪島市の風景を延々と映し、そこでは家から多少出入りする様子は見えても、建物が倒れたり、地割れが生じたりといった様子はなく、落ち着いた雰囲気が漂っています。やがて「津波警報が出ました」「大津波警報に変わりました」「すぐ逃げてください」という話になっても、画面の中の街は落ち着いたままです。しかし私たちは東日本大震災の経験から知っています。一番ひどい被災地からの情報はむしろ大きく遅れるのです。
 翌二日、夜明けとともに入って来た映像は、通常は考えられない範囲に広がる火災の様子や翌倒しになった7階建てのビル、完膚なきまで潰れた民家・民家・民家・・・。崖から転げ落ちそうになっているオモチャにしか見えない家、地割れのあと、地震の瞬間の揺れる商業施設の中の様子、川をさかのぼる津波、粉々に壊された海の家と、悲惨な光景が繰り返し放送されます。しかしそれでも今のところは、津波で亡くなったひとの話は聞こえてきません。
 
 1983年(昭和58年)日本海中部地震では104名の方が亡くなられましたが、うち100名は津波の犠牲者で、中には地震直後の海辺で磯遊びをしていて被害に遭った小学生もいたと記憶しています。
 あとから考えれば「5mを越える津波の可能性」とアナウンスされながら実際には1m20cmが最大でしたが、あれくらい大騒ぎしないとすべての人間を救うのは困難なのかもしれません。

【何かうまく行かない。しかしやり直そう】

 この地震で家族や家をなくされ、あるいは寒空の下で今も避難を続ける人々のことを思うと言うには憚られるのですが、私の正月もかなり気分の重いものでした。
 ここには書くことのなかった家族に関わる大きな事件の決着が12月の28日について、その結果が30日の土曜日に知らされました。非常に不本意な結果で、正月早々、改めて手を打たなくてはなりません。
 それとは別に、これはさらに大した問題ではないのですが、年末に浴室の水道の混合栓(湯と水を混ぜる装置)が故障し、取り替えた際の請求書(5万円余り)が1月1日、年賀状とともに届いたのです。しかもその工事の結果も、思う通りのものではありませんでした。正月早々気分の良いものではありません。その程度と言えばその程度のことです。

 昨年2023年は(前にも書きましたが)、私にとってあまりいい年ではありませんでした。悪くはないのですが、いちいちケチがつくのです。
 家のリフォームは10項目に渡って行いましたが、うち8項目で不満が残りました。まだやり残しが1件、やり直しが3件残っています。畑で愛用していた耕運機のエンジンがかからなくなり、修理に出したものが帰ってきません。12月中の約束でした。
 あれやこれやで睡眠不足。寝つきはいいのですが夜中に目覚め、そのまま二度寝のできないことが続いています。事故に気をつけなくては――。
 
 ちょっとした悪運も2023年に置いてくるつもりが、元日早々に請求書が届いて何か持ち越した感じで、それがいやなのです。
 ただし、四柱推命に詳しい娘のシーナによれば、運勢は旧暦で動くので春節までは2023年のままなのだそうです。了解です。やり直しましょう。
 本年もよろしくお願いします。