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「誰にどう感謝すればいいの?」~明日は勤労感謝の日

 明日は勤労感謝の日。祭日で、皆ウキウキと休みに入るのだが、
 ハテ? 誰が誰にどう感謝するのだ?
 一家の働き手なのか街で仕事をする人なのか――。
 そう言えば毎年これといった行事もなかった。
という話。(写真:フォトAC)

【明日は勤労感謝の日

 明日は勤労感謝の日。一年の中でもっとも説明しにくい祭日のひとつとなっています。
 祝日法には、
「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」
とありますが、互いに感謝し合うような儀式もなく、誰かが誰かにプレゼントをするわけでもなく、一般にはなんともピンとこない祝日です。

 元は宮中祭祀の「新嘗祭(にいなめさい・しんじょうさい)」。天皇がその年に収穫された新たな穀物などを神に供え、 感謝の奉告を行ってからそれらの供え物を神からの賜りものとして、自らも食す儀式です。
 古来、旧暦11月の二回目の卯の日に行われる儀式でしたが、明治6年、太陽暦が採用された年の11月の二回目の卯の日が、たまたま23日で以後23日で固定したまま今日に至っています。

 私は今回調べ直すまで、意識のどこかで建国記念日と混同した部分があって、新嘗祭も宮中の祭祀である以上戦後を生き延びることができず、しばらく経ってから復活・改名・設置されたもののように思い込んでいました。ところが驚いたことに、昭和23年の祝日法制定当初から正式に置かれていたのです。それくらい私自身も関心がありませんでした。

【敗戦を超えて生き延びた祭日】

 第二次大戦後新たに日本国憲法が制定され、祝日から国家神道の要素を払拭するという方針のもと、新たに祝日を選定し直すことになりました。その際、神話に関わる「神武天皇祭」だの「皇霊祭」だのは祝日として生き残れなかったのです。ところが「新嘗祭」については、残したい人々い有利な条件がたくさんありました。
 新嘗祭はもともとが新たな作物の収穫に対する感謝の儀式で、そうした収穫の喜びの祭は、アメリカの感謝祭を始め、諸外国にいくらでも例があるからです。そのため他の祝日とは異なり、GHQも通し易かったのでしょう、話は案外すんなりと進みます。
 ただ、名称が「新嘗祭」のままでは神道そのものですから、さまざまに新たな名前が練られ、「新穀祭」「生産感謝の日」「感謝の日」、そして最終的に「勤労感謝の日」となったのです。でももともとは「収穫感謝」で神に対するものですから、そのあたりから分かりにくくなったのかもしれません。

【子どもたちには何と言ったらいいのか】

 まず字義通り、法律の通りに説明することは必要でしょう。
「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」
 働くことは尊く大切なことだという思いを新たにし、秋の実りやさまざまな製品が生れてくるこことを喜んで、互いに感謝しあう日だということです。

 「駕籠に乗る人、駕籠かつぐ人、そのまた草鞋(わらじ)をつくる人」
――駕籠に乗る人がいなければ駕籠屋稼業は成り立ちませんし、かつぐ人がいなければ《駕籠に乗る人》も歩かなくてはなりません。そもそも《乗る人=かつぐ人》の関係が生まれるには、駕籠かきの足元を守る《草鞋をつくる人》がいなければならない、すべての人々の支えでこの世の中はなんとか成り立っているのです(*1)。

 私たちがおいしい給食を食べられるのも、それをここまで運んで配膳してくれた給食当番の友だちがいてくれたからで、しかしその給食を作ってくれたのは給食室の調理員の方たちで、さらににその食材を持ってきてくれた人がいて、そもそも食材を生産してくれた人がいる――。
 キミたちが背負っているランドセルも、キミたちが作ったものじゃないし、君たちが着てくる服だって、世の中の誰かが作って、キミのお父さんやお母さん、あるいはお祖父ちゃんかお祖母ちゃんが買ってくれたものだ。
 キミたちは、そして私たちは、一人では何一つ手に入れたり、楽しんだり、豊かに暮らせたりしない。だから明日は一日、私たちに様々なものや幸せを運んでくれる人々に感謝しながら、静かに、思いを込めて、家で過ごそう。たくさんの人に感謝の気持ちを伝えよう。
(でも結局、学校を休んでまでして、何をしたらいいのかはわからないけどね)

*1:「世の中には階級や職業がさまざまにあって、同じ人間でありながらその境遇に差があっるたとえ」という説明もあり、扱いにくい言葉かもしれません