「勤労感謝と暗殺の日」~J・F・Kに倣い、児童生徒・保護者にも問う

 明日は「勤労感謝の日」。その意味について子どもにも知らせておこう。
 明日は「J・F・ケネディ暗殺の日」。
 政府と国民の双方に犠牲と協力をもとめた若き大統領に倣い、
 学校や行政は当然として、児童生徒・保護者にも犠牲と協力をもとめたい。

という話。f:id:kite-cafe:20211121163241j:plain(写真:フォトAC・パブリックドメインQ)

勤労感謝の日の意義を伝えておこう】

 明日は「勤労感謝の日」です。祭日についてはただ「お休みです」といって帰すのではなく、趣旨と方向性を示して家庭に戻したいものです。
 ちなみに勤労感謝の日は「国民の祝日に関する法律祝日法)に、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」日だとあります。昔の新嘗祭(にいためさい・しんじょうさい)に当たりますが、天皇家の祭祀に踏み込むといろいろ説明が面倒ですから、子どもには「秋の実りを神様に感謝する『日本の収穫祭』のようなものだった」程度に触れて観るのもいいでしょう。実際アメリカの感謝祭は11月の第三木曜日(今年の場合は25日)に行われます。時期がだいたい一緒なのですね。

 お父さんお母さんを含めて、食べ物やその他のものをつくったり、自分たちのために何かをしたりしてくれる人たちに感謝して一日過ごしましょう。そんなふうに離しておけば、何人かにひとりはその思いを家で伝えてくれるでしょう。

【J・F・ケネディ暗殺の日】

 11月23日は私にとって生まれて初めて国際政治に触れた日でもあります。アメリカ合衆国第35代大統領、ジョン・F・ケネディが暗殺された日だからです(現地時間11月22日)。
 私はその日までケネディの存在も知りませんでしたし、そもそもアメリカ合衆国の存在すら理解していたかどうか怪しいのですが、日米初の衛星放送の第一報がこれでしたから強く記憶に残っています。何か世界では、とんでもないことが起こる場合があると、子ども心にも不安になったことを覚えています。

 ケネディという人は今も人気がありますが、「偉大な大統領」という枠で語られることは多くありません。偉大な仕事を成し遂げる前に殺されてしまったからです。
合衆国の喉元のキューバソ連がミサイルを搬入したとき、毅然として退けた(キューバ危機)、部分的核実験禁止条約を締結した、黒人の人権擁護に尽くした(公民権運動への支援)、アポロ計画を公表した――とだいたいこの辺りまででしょう。
 けれど私にとってはいつまでも記憶に残る大統領です。それは1961年の就任演説こう語ったからです。
「我が同胞アメリカ国民よ、国が諸君のために何が出来るかを問うのではなく、諸君が国のために何が出来るかを問うてほしい。・・・世界の友人たちよ。アメリカが諸君のために何を為すかを問うのではなく、人類の自由のためにともに何が出来るかを問うてほしい。・・・最後に、アメリカ国民、そして世界の市民よ、私達が諸君に求めることと同じだけの高い水準の強さと犠牲を私達に求めて欲しい」

【政治家および児童生徒や保護者に問う】

 私は、国民に果てしなく甘えを許そうとするポピュリズムが嫌いです。
 教育についていえば、
「どれほど怠けても、学校は子どもの学力を補償します」
とか、
「子どもに関わる問題は、すべて学校と関係機関が解決します」
とか、
「精神的にも肉体的にも、子どもが傷つく一切について、教員を含む公務員すべてが対処し解決します」
といった言い方が嫌いなのです。実際にその通りではなくても、政治家の言っていることはそういうことです。

 ほんとうはそうでなく、こう言うべきなのです。
「学校を含む政治は、子どもたちのために全力で支援をします。しかし努力するのは本人です。私たちは子どもの将来に立ちはだかる障壁のすべてを除去するわけにはいきません。その子の前に無条件の出世や収入を保障し、善き人間関係や生活を約束することはできないのです。
 子どもたちよ、その能力に応じてまず自分たちで最善を尽くしなさい。自分たちの問題は自分たちで解決できるよう、強い心と技能を磨きなさい。その上で不可能なことは、大人たちや政府が補う用意があります。
 保護者たちよ、子どもを鍛えてください。安易に他人の助けを求めているだけの人間を育ててはいけません。希望をもって努力する先には必ず輝かしい未来があることを、子どもとともに信じましょう。今日のその子の日々も大切ですが、大人になってからの数十年はさらに大切です。その日のために、忍耐強い、たくましい精神を育てましょう。その日のために保護者も耐えましょう。私たちはそのお手伝いをしますが、できるのはその程度のことでしかないのです。私たちは決め手ではない――私は責任をもって、そのように申し上げます」


 今こそ出でよ! 日本のJ・F・K!
と、そんなふうに思います。私が叫んでも誰も聞いてくれないので――。