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「悲しきグリーンベレーの話」~DCD(発達性協調運動障害)、子どもの姿が見えてくるとき③

 私が初めてあった自閉症スペクトラム障害の子どもは、
 信じがたいほどの運動オンチだった。
 こうした、生活に支障をきたすような運動障害をDCDと言うらしい。
 私の孫が抱えている困難がそれだ。
という話。(写真:フォトAC)

【初めて会った発達障害のあの子】

 いまから四半世紀前、ある小学校の5年生のクラスで、私はひとりの特異な男の子の担任をしていました。わずか14人の小さなクラスでしたが、その子と、もう一人のとても奇矯な反応を示す女の子のために、かなりしんどい学級経営を強いられていた時期です。
 後に気が付くのですが、私はこの二人から、発達障害というものを身をもって徹底的に教えられたとも言えます。
 
 当時はLDこそ有名でしたが、ADHDはその前年に「のび太ジャイアン症候群」が出版されてようやく知られ始めた時期で、アスペルガー症候群は一部の専門家の口の端に乗るだけ、自閉症スペクトラムどころか発達障害と言う言葉さえなく、「高機能自閉症」「高次高機能障害」「高機能広汎性発達障害」といった様々な用語が次々と生まれる、その直前くらいの時期でした。特別支援の教員の一部は知っていましたが、一般の教師に知識のある人はほとんどおらず、言葉がないということは概念もなかったということです。

 この子については2011-06-08『「K君のこと」~初めて出会ったアスペルガー症候群の子』に詳しく書いてありますが、改めて紹介すると「わがままで身勝手、プライドは高いのに、何もしない」を絵に描いたような子で、とにかく好きなこと以外は何もしない、図工の時間に絵を描かない、音楽の時間は口パクで誤魔化す、算数の問題が解けずに困っている子を見ると「バッカじゃねぇの?」と平気でバカにしますが、だからといって自分が解けるわけでもない。傲慢不遜、馬耳東風、独立不羈。
 学校の基本的なことは何もできないくせに、ある日突然、「源氏物語」の研究家になって登校し、「帚木(ははきぎ)」がどうのこうの「末摘花はブサイクでかなわん」どうのこうのと言い始めて周囲を困惑させる、そうかと思うといつの間にかモーツアルト研究家に変わっていて、「K(ケッフェル)ナンバー」がどうのこうのと、同級生を捕まえては言いまくるので当然友だちはできません。

【悲しきグリーンベレー

 中でも選択を誤ったのはアメリカ軍の特殊部隊、グリーンベレーに入るための自主訓練を始めたことです。実はこの子、垂直の壁を乗り越えるどころか跳び箱の3段(小学生用で50cm)も跳べないのです。その跳べなさはまさに特徴的で、跳び箱の遥か手前でジャンプして踏切り板の上に着地してしまったり、逆に踏切板を通り越して跳び箱に直接ぶつかってしまったりと尋常なできなさではないのです。跳び箱と踏切板と自分の位置関係がまるで分っていません。

 サッカーの練習では、横から流したボールを走っていってゴールに蹴り込む場面で、予定した地点にボールが来る前に走り抜けてしまい、シュートそのものができない。行き過ぎて振り返る彼のうしろを、虚しくボールが転がっていくのです。
 もちろんこの練習、ボールの速さと自分の走る速度を勘案し、タイミングを計って接点へと駆け出すわけですから、かなり難しいものです。年寄りの私などは意識的に早くスタートをきってもおそらく間に合わない。二回目は当てずっぽうにぐんと走り出しを早めて、蹴る場所までいったら今度はボールがまだ来ない、そんなこともありそうです。しかし「行ったらボールがまだ来ない」の状況で、私は何をしたらいいのか――。
 答えは簡単です。そこで止まって待てばいいだけです。誰でもそうします。彼のようにその先まで走ってしまい、虚しく後ろを振り向くなんて、まずありえません。ところが私の悲しいグリーンベレーは、何度やってもボールコースを跨いで先に行ってしまうのです。

【発達性協調運動障害(Developmental Coordination Disorder; DCD)】

 この子の動きを運動能力として分析するとどうなるのか――。
 もちろん彼は走れますし流れてくるボールを目で追うこともできます。ボールと自分との接点を想定し、ボールがゴールに吸い込まれるイメージを思い浮かべることもできます。そして(ここには書いてありませんが)当然ボールを前方へキックできます。つまりこの練習に必要な能力をすべて持っているのです。それなのに他の子たちと同じようにボールを蹴ってゴールに入れることはできない。それはなぜか――。
 ここに至って問題は「ボールを蹴るための個々の力」ではなく、それらを統合して調整する能力だということが分かってきます。つまり「必要な様々の能力をコーディネートする力」に障害があると考えられるわけです。
 こうした運動障害を「発達性協調運動障害(Developmental Coordination Disorder; DCD)」と言い、彼のような自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder; ASD)の子の約4割が、同じ問題を抱えていると言われています。

 DCDが長く注目されなかったのは、おそらくこれが発達障害の特性の一部として、独立した障害とは認められてこなかったからでしょう。実際に、国際的な診断基準であるアメリカ精神医学会診断基準(DSM)でも2013年の第5版(DSM-5)が発表されるまで、例えば「ASDであり、かつDCDを併せ持つ」という言い方ができなかったのです。
 それがDSM-5から可能になったのですが、「ASDとDCDが併存する」ということは「運動障害のないASD」がいるように、「自閉症スペクトラム障害をもたないDCD」もいるということです。
 私の孫のハーヴも、どうやらこの枠に入ってくるようなのです。

(この稿、続く)