10年前、東日本大震災という未曾有の危機に
私たちはひとつになって立ち向かうことができた。
しかし今、政府は国民の“緩み”をあげつらい、
国民はメディアに煽られて政府を罵る。
「がんばろう日本」はもう夢なのだろうか。
(写真:フォトAC)
【「がんばろう日本」の思い出】
古い自分のブログを整理していたら「がんばろう日本」と言う記事が出てきました。2011年3月15日、東日本大震災の翌週火曜日の記事です。
と結びました。
*地域を区切って順番に行う計画停電
実際、日本はそのようになりましたし、2011年3月11日は日本の国際的地位を高め、日本人に自信を取り戻させた転換点だったと思っています。この日を境に「だから日本人はダメなんだ」とか「日本は諸外国から20年は後れている」といった、それまでの評論家の定型文は長く使われることがなくなりました。
今回のコロナ禍においても、「だから政府はダメなんだ」という言い方は出ても、「日本人は~」という言い方をする人はいないでしょう。
ただし今回の場合は、10年前のような「日本人としてみんなで手を携えて頑張って行こう」といった気概、高揚感はほとんど見られません。「絆」と言われても、どこにそんなものがあるのかと、いった感じです。
未曽有の国難という意味では、東日本大震災もコロナ禍も同じでしょう。それなのになぜ、今回はともに戦っていこうといった気風は生まれないのでしょう。
その中で私は、極端な電力不足に陥った東京電力が「輪番停電」(*)を計画したところ、人々や企業が一斉に節電に動いたため必要でなくなってしまったことや、11日の東京では帰宅難民と呼ばれた何百万もの人たちが、文句ひとつ言うことなくバスやタクシーを待ったり黙々と歩いて帰宅したりしたこと、あるいは被災地でおびただしい人々が救助活動に従事していることや福島第一原発でも750人も従業員たちが踏みとどまって戦っていること、また早くも募金やボランティア登録が始まったことなどを記して、
「非常に不幸な災害ですが、私はもう一度日本がひとつになるための重大な契機にもなるかもしれないと感じています」と結びました。
*地域を区切って順番に行う計画停電
実際、日本はそのようになりましたし、2011年3月11日は日本の国際的地位を高め、日本人に自信を取り戻させた転換点だったと思っています。この日を境に「だから日本人はダメなんだ」とか「日本は諸外国から20年は後れている」といった、それまでの評論家の定型文は長く使われることがなくなりました。
今回のコロナ禍においても、「だから政府はダメなんだ」という言い方は出ても、「日本人は~」という言い方をする人はいないでしょう。
ただし今回の場合は、10年前のような「日本人としてみんなで手を携えて頑張って行こう」といった気概、高揚感はほとんど見られません。「絆」と言われても、どこにそんなものがあるのかと、いった感じです。
未曽有の国難という意味では、東日本大震災もコロナ禍も同じでしょう。それなのになぜ、今回はともに戦っていこうといった気風は生まれないのでしょう。
【みんながんばっているのに認め合わない】
実は大半の日本人はいまもコロナ禍に耐え、並大抵ではない努力しているのです。
治療の最前線にいる医療者はもちろん、救急隊員や保健所の職員、これらは最も尊敬すべき人たちですが、直接コロナにかかわらない職種や立場の人々の中にも、尋常でない苦痛に耐えているひとたちがいっぱいいます。
自らが感染することを恐れ、その感染を広げることを恐れながら日々高齢者のもとへ向かう介護の人々、その介護者の世話を受ける高齢者たちも、もう何カ月も子や孫と会えていないのです。家族に会えないのは高齢者に限ったことではありませんが、このまま会えずに終わってしまうのではないかという恐怖と向かい合っているのは、ほとんどが後期高齢者たちでしょう。
飲食・観光・交通といったコロナの被害をまともに受けている人々の多くは、繰り返される自粛要請に応え、いつまでたっても来ない給付金を待ちながら細々と営業を続け、あるいは廃業せざるを得なくなっています。
その給付金の遅れは行政に人手が足りないことに一因がありますが、その人たちも少ない人数の中で必死に頑張っているのです。
いまや国民の85%が反対しているというオリンピック・パラリンピックの準備に従事している人たちも、たいへんな非難の中で職責に忠実であろうとしているわけで、やはり尊敬しなくてはならない人々でしょう。
数え上げたらきりのないたくさんの人たちが、この国の中で頑張っている――「だから誉めろ」と繰り返し言うのですが、誰も誉めたりしない。感謝の言葉もない。ともにがんばろうという励ましもない。
「国民は疲れ切っている」と言ったのは日本医師会の中川会長です。そんな状況だからこそ、誰かが誉め、感謝し、励まし合わなくてはならないのに、それをすべき人はやっていません。
本来は誰がすべきことなのか――。
治療の最前線にいる医療者はもちろん、救急隊員や保健所の職員、これらは最も尊敬すべき人たちですが、直接コロナにかかわらない職種や立場の人々の中にも、尋常でない苦痛に耐えているひとたちがいっぱいいます。
自らが感染することを恐れ、その感染を広げることを恐れながら日々高齢者のもとへ向かう介護の人々、その介護者の世話を受ける高齢者たちも、もう何カ月も子や孫と会えていないのです。家族に会えないのは高齢者に限ったことではありませんが、このまま会えずに終わってしまうのではないかという恐怖と向かい合っているのは、ほとんどが後期高齢者たちでしょう。
飲食・観光・交通といったコロナの被害をまともに受けている人々の多くは、繰り返される自粛要請に応え、いつまでたっても来ない給付金を待ちながら細々と営業を続け、あるいは廃業せざるを得なくなっています。
その給付金の遅れは行政に人手が足りないことに一因がありますが、その人たちも少ない人数の中で必死に頑張っているのです。
いまや国民の85%が反対しているというオリンピック・パラリンピックの準備に従事している人たちも、たいへんな非難の中で職責に忠実であろうとしているわけで、やはり尊敬しなくてはならない人々でしょう。
数え上げたらきりのないたくさんの人たちが、この国の中で頑張っている――「だから誉めろ」と繰り返し言うのですが、誰も誉めたりしない。感謝の言葉もない。ともにがんばろうという励ましもない。
「国民は疲れ切っている」と言ったのは日本医師会の中川会長です。そんな状況だからこそ、誰かが誉め、感謝し、励まし合わなくてはならないのに、それをすべき人はやっていません。
本来は誰がすべきことなのか――。
【マスメディアは国民の足を引っ張るな】
菅総理がその第一です。西村経済再生担当大臣も田村厚生労働大臣も加藤官房長官も、あるいは政府の分科会の尾身会長も医師会の中川会長も、発言のできるすべての人々が、機会あるごとにそうすべきなのです。
たとえ緊急事態宣言に国民が100点満点の答えを出さなかったとしても、みんなが努力した、だから感染も抑えられつつあるのですから。
そしてもうひとつ。
マスメディアは国民の足を引っ張るな。
少数の人々の不平不満をことさら取り上げて煽るな。
もはやワクチンという強力な助っ人が現れて、戦いの帰趨は見えているのだ。
どんなに長くとも半年で決着はつく。
それまで「ともにがんばろう、日本」となぜ言えないのか。
かつてこの国には「何でも反対党」と揶揄された野党政党がありましたが、建設的な議論もせず、「あれもダメ」「これもダメ」と言っているうちに国民に見限られ、消えてしまいました。日本のマスメディアが同じ道をたどらないといいのですが。
それにしても、
がんばろう日本はもう夢なのでしょうか。
たとえ緊急事態宣言に国民が100点満点の答えを出さなかったとしても、みんなが努力した、だから感染も抑えられつつあるのですから。
そしてもうひとつ。
マスメディアは国民の足を引っ張るな。
少数の人々の不平不満をことさら取り上げて煽るな。
もはやワクチンという強力な助っ人が現れて、戦いの帰趨は見えているのだ。
どんなに長くとも半年で決着はつく。
それまで「ともにがんばろう、日本」となぜ言えないのか。
かつてこの国には「何でも反対党」と揶揄された野党政党がありましたが、建設的な議論もせず、「あれもダメ」「これもダメ」と言っているうちに国民に見限られ、消えてしまいました。日本のマスメディアが同じ道をたどらないといいのですが。
それにしても、
がんばろう日本はもう夢なのでしょうか。