カイト・カフェ

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「新型コロナへの日本人の対応は、ほんとうにすごかったのか」~新型コロナの数字から見えてくるもの②

 世界では新型コロナに関して、
 「なぜ日本はこんなに死亡者数が少ないのか」
 が話題になっているという。
 しかしほんとうに日本の死亡者は際立って少ないのか、
 そして世界はどのようにこの新型コロナ事態をとらえたのか、
 数字を見ながら考える。

というお話。

f:id:kite-cafe:20200611064219j:plain(「パンデミック(緑)」フォトACより)

【日本はほんとうにすごかったのか】

 新型コロナ感染について「なぜ日本はこんなに死亡者数が少ないのか」が継続的なテーマとなってあちこちで論じられています。やれ生活習慣だのBCGだのと言った話です。

 一方、こういった日本礼賛が始まると必ず水をかけることで目立とうとする人が出てきて、先日も「この、ハゲー!」の元国会議員・豊田真由子さんが、
「日本は死亡者数が少ないと言いますが、アジア・オセアニアでは最下位のレベルです」
などと、したり顔でおっしゃっておられました。

 もちろん数字としてはその通りなのですが、「なぜ日本はこんなに死亡者数が少ないのか」の前にはたくさんの文章になっていない条件がついていて、その上でテーマになっていることに豊田様は気づいていません。

 たくさんの条件というのは例えば、

  1. 武漢・ヨーロッパ諸国並みの都市封鎖をしなかったのに、
  2. 中国・韓国・台湾のような感染者追跡システムをもたないのに、
  3. 韓国のような圧倒的なPCR検査体制もないのに、
  4. 新型コロナ以前に医療がひっ迫していて、ドイツのような余裕もなかったのに、
  5. 外出制限に罰金刑などの法的措置を置かなかったのに、
  6. 世界一の高齢化率にも関わらず、
  7. 東京・大阪のような超密集・超巨大な都市が多数あるにもかかわらず、
  8. 武漢封鎖の時期ですら春節の中国人観光客を止めなかったのに、
  9. ダイヤモンド・プリンセスであれほどの手際の悪さをみせたのに、
  10. オリンピックを意識してか、緊急事態宣言が遅かったにも関わらず、
  11. 政権の支持率は世界の中でも最低レベルで、国民は政府をほとんど信じていないのに、

――なぜ日本はこんなに死亡者が少ないのか。
 そういう文脈です。これだと、
「なるほど、これだと論じてみる意義はありそうだ」
とか
「日本はすごい」
ということにもなります。

 

【それでも数字はアジアで最低レベル】

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 ただし豊田様のおっしゃることも一応その通りで、右の表のように、10万人あたりの死亡者数では、アジアの中で決して誉められた成績ではないのです。ちなみに表にはありませんが、オセアニアではオーストラリアもニュージーランドも0.4人となっています(2020.06.09現在)。

 ただこの数字も、日本の高齢化率を考えれば0.7はできすぎだとか、韓国の0.5は最初の巨大クラスターが新興宗教団体で感染者に若者が多かったからだとか、ニュージーランドの国際的立場を考えると、早期の入国制限は日本よりやりやすかったからとか、いろいろな話が出てきそうです。

「結局、中国の数字なんて信用ならない」とひとりが言えば、「そうは言ってもフィレンツェやパリへは感染を広げても、北京や上海へは広げなかった手腕は大したものだ」とか、言い出したらきりがありません。

 そこで枠を全世界に広げて、10万人当たりの死亡者数を比較してみます。日本はほんとうにすごいのか、そうでもないのかをみるためです。
 感染者ではなく死亡者を問題とするのは、日本がPCR検査数を批判されたように、感染者は調べないと分からないのに対して、「死者はウソをつかない」からです。

 

【新型コロナ感染の実感】

 下は日経新聞からお借りした数値(元はWHOおよび米ジョンズ・ホプキンス大のデータ)をもとに人口10万人あたりの死亡者数をグラフ化したものです。取り上げた国・地域に基準はなく、ニュースで話題になっているところ、私自身が気にしているところ、感染者数が比較的多い場所、そんなことを頼りに拾い出しました。

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 すぐにわかるのは、韓国が上だ、中国だ、いややはり日本がすごいといったことは全く無意味だという点です。世界で比べれば日本の0.7だの韓国の0.5だの、あるいは中国の0.3だのといった数値はいずれも無視できるほどに小さい。
 またこのグラフからは、国や地域によって10万人あたりの死亡者数には大きな差があり、日ごろニュースから感じる雰囲気とはずいぶん違った様相を呈している、ということも分かってきます。

 例えば、現在、飛びぬけて多い死者数(11万1千人余)を出しているアメリカ合衆国も、母数となる人口が3億2700万人もいるので大した数には見えなくなります。逆に人口1140万人ほどのベルギーでは1万人に近い死者が出ているために10万人あたりは84.3人というとんでもない数になってしまいます。

 この観点から見ると、しばらく前に絶望的と言える感染爆発のあったイランやトルコ、あるいは今、急速に感染拡大していると言われるロシアですら大したことがないように見えてきます。
 おそらくそれが、それぞれの国や地域に住む人々の実感に繋がります。

 ひところのイタリア北部やスぺインの都市部、英国のロンドンなどでは、毎日のように遺体の運ばれる様子が見られたはずです。
 ベルギーは関東地方から神奈川県を差し引いた程度の面積の国ですが、そこで6万人近い人が感染し、1万人近い人が亡くなったのですから、友だちが感染した、親せきが亡くなったといった話もかなりあったはずです。新型コロナもそれに対する恐怖も、私たちよりずっと身近だったに違いありません。辛かったでしょうね。

 似たような悲惨な状況はニューヨークにもありました。しかし合衆国は人口も多ければ国土も広い。全体でみると、“どこにコロナが?”みたいな州もいくつもあったのです。あれほど人が死んでいるのに新型コロナより経済、感染より人種差別という話になるのはそのためです。

 ロシアやトルコ、イランなども同様で、苦しくても傷はヨーロッパよりはるかに浅かったのかもしれません。
 しかしそれにしても、ヨーロッパの国々は苦しかった・・・。

(この稿、続く)