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「具体的な想像力、最初の15分、次の15分に何をするのか」~東日本大震災祈念の日に思う② 

 教師も子どもを救うためなら自分の命に頓着しない。
 しかしそのことで他の子どもを危険に晒す場合もある。
 また、それとは逆に、
 いざというときに逡巡して、ムダに時を過ごすこともある。
 そうならないために大切なことは――

という話。(「走る子どもたち」フォトACより)
 

【いざとなれば教師も自らの命に頓着しない】

 教師が30人の子どもを預かっていて、津波のためにひとりの児童が流されそうになったとき、もちろん恐怖で足が動かない人は多いと思いますが、動ける教師の10人が10人とも、私は反射的に津波の中に飛び込んでしまうのではないかと恐れています。

 そこでも正常性バイアスは働いて助けられるような気になるということもありますが、とっさのときに“自分が死んだら残りの29人は誰が守るのだ”という合理的な判断ができず、目の前の子どもを助けようとしてしまうのではないかと思うのです。
 教員はそういう意味ではとても危険な人たちです。

 

【私の目撃した火災現場のできごと】

 危険と言えば教師よりはるかに危険な職業である消防士は、日常的に命の危険に晒されているために、こうしたことでは非常によく訓練ができています。“自分が危険を冒すと、ときに仲間が危険に晒さらされる”ということが徹底しているのです。

 私はかつて山奥の温泉宿で、少し離れた別の宿が火事で全焼するのを見たことがあります。
 火の手の上がったところは見ていないのですが、まず地域の消防団が集まって弱々しい放水を始め、そこに山の中腹の消防署から(と後で聞いた)ポンプ車が駆けつけて、すぐさま放水を始めるかと思ったら逆に消防団の放水を止めさせ、後ろに下がらせてあとはみんなで眺めているのです。もうそのころには建物はほとんどが炎に包まれていました。

 それから20分ほどもして麓の消防署の車両が1台、2台と集まりはじめ、かなりの数になって初めて、もうほとんど焼け落ちた建物に向かって水をかけ始めました。1時間ほどかけて鎮火させます。
 私はびっくりしました。しかし消火というのはそういうものらしいのです。

 夜は無人の宿で、火は最初のポンプ車が到着した時点で手の施しようがないほど広がっていました。周辺には延焼する建物もありません。
 そうなると最優先にしなくてはならないのは、自分たちを含む周囲の人々の命です。わずかな冒険も許してはいけません。消防車両の台数がそろって命令系統がきちんとしてしてから、初めて消火活動に移ることができるというわけです。 恐れ入りました。

 現場に着いた時点で、そうした方針は決まったのでしょう。

 

避難訓練で疑問に思い続けていたこと】

 学校にはすべて防災計画の立案が義務化されています。
 4月の準備職員会では必ず主要な部分を読み合わせ、各自自分の役割を確認するとともに月内に行われる最初の避難訓練で実際に動いてみます。

 児童生徒の避難を完了し、人員点呼をして学年主任、副校長(教頭)経由で校長に報告します。校長はそのあと「全員無事避難完了! 職員は各自、係活動に移れ」とか命令して、職員はそれぞれの活動に入ります。
 消火係は初期消火に、搬出係は重要書類の搬出に、防災係は延焼を防ぐための防火扉・防火シャッターの戸締りに向かうわけですが、私はある時期から、「これほんとうにやるんか?」と疑問を持つようになりました。
 燃え盛る炎の中をかいくぐってでも重要書類を取りに行かなくてはならないのか、ということです。

 もちろん大昔の天皇御真影ではありませんから(*)そこまではしなくていいと思うのですが、実際に燃え盛る校舎を見て、行くか行かないかの判断は誰がするのか、自分なのか、副校長なのか、校長なのか。
 無理せず行けると思って入ったものの帰れなくなったらどうするのか、自分は焼け死ぬしかないが「係活動に移れ!」と命じてしまった校長先生の責任はどうなるのか、機械的に指示してしまったご自分の責任はあるにしても、私の無謀の責任を取らされるのは気の毒だと思ったりもしたのです。やはり行かせるにしてもご自分の目で火災状況を判断してからの方がいい。
*かつて宮内省から各学校に貸与された天皇の写真。作家の久米正雄の父親は長野県の小学校長でしたが、失火によって御真影を焼失してしまい、責任を取って割腹自殺したと言われています。


 結局私は退職するまでこの問題に目をつむり続けましたが、今ごろになって「やはり文章上だけでも何らかの決着をつけておけばよかったな」と後悔しています。
「係活動の是非は、現場の状況を見て校長が判断する」
と一行書けば済む話です。その1行があるだけで、訓練の中に「校長先生が(副校長を伴って)現場に駆け付け判断する」という活動も入ってくるはずです。

 

【具体的な想像力、最初の15分、次の15分に何をするのか】

 要するに想像力の問題なのです。
 大槌町の防災計画でも、
「大規模災害の場合、本部は庁舎に置く。庁舎が使用に耐えない場合は(高台の)第一公民館に移す」
とあった文言の、「本部を置く」が実際に何をすることなのか、最初の15分間に行うべき活動は何なのか、「庁舎が使用に耐えない」はどういう状況なのか――そういったことに具体的なイメージが、おそらくなかった。だから庁舎前に主要な職員がそろっているにもかかわらず、無為に35分は過ごされてしまったのです。具体的に“すること”が分かっていないと、人間は動けない。

 昨年の秋に私が訪れた旧石巻市立大川小学校跡地で、今から9年前の3月11日午後3時ごろ起こっていたこともおそらく同じです。
 地震が起こったら屋外に逃げ、人員点呼を行う――そこまではどんな防災計画にもあります。しかし余震が続いて校舎に戻れないとか、電源や通信網が全滅して情報が取れないといった想定はまるでありませんでした。
 逃げた校庭に雪が降ってくる、夕闇が近づいてくる。校長の不在までは予見できないにしても、指示する人がいない、市教委の指示が仰げないといった状況は、考えておいただけでもだいぶ違っていたことでしょう。

 私には自分があの時の大川小学校の教頭であっても、同じような行動しかとれなかっただろうという心理的な負い目があります。ですから強く非難はできないのですが、それでも、
「判断に迷ったら、その時最も厳しい助言に従う」
という具体的に決めておけば、裏山に登って津波を回避することもできたのかもしれません。その場に留まった方がいいという話もありましたが、裏山に逃げようという子どももいたからです。

 むやみに命を捨ててはならない。
 しかし逡巡して時間をムダにしてもいけない。
 両者をともに成り立たせるのは、具体的な想像力と計画、覚悟です。

 新学期、学校が再開したら、そうした観点からもう一度、防災計画を見直してみましょう。