カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「ある日突然、学校は子どもたちにとって最も素晴らしい場所になった」~私は素晴らしい学校時短計画を思いついた!①

 これまでマスメディアは、
 学校は、子どもを型に嵌めるところ、息苦しいところ、
 学校カーストでいじめのはびこる場、体罰の常態化した場、
 辛ければ一刻も早く逃げ出した方がいい場所だと言い続けた。
 ところがある日突然、
 学校は世界で最も素晴らし場所に変わってしまったのだ。
 そこで気づいた――。

という話。

f:id:kite-cafe:20200309080114j:plain(「夕暮れに転がった2つのランドセル」フォトAC より)

【ある日突然、学校は子どもたちにとって最も素晴らしい場所になった】

 全国の小中高校の臨時休校が始まって4~5日たった先週の木曜日あたりから、ネットニュースやテレビの情報番組に「学校に行きたいのに行かせてもらえない」といった話がずいぶん目立つようになりました。それで私はかなりイライラしていたのです。


 マスメディアはつい最近まで、学校カーストだのいじめの構造だのといった話ばかりしていて、子どもたちに送るメッセージの定番は、
「苦しかったら行かなくていいよ」
「自殺するくらいなら不登校になりなさい」
だったのに、それがいつから
「学校は楽しく、すてきなところ」
「友だちと勉強したり遊んだりするのは一番の楽しみ」
になったのか?
 私はその期日を正確に言えます。

 2020年2月27日(木)夕刻、安倍内閣総理大臣が“週明けの3月2日から春休みまで、全国の小中高校を休校にするよう要請します”と言った瞬間からです。

 マスメディは自己都合で髪の毛ほどの節操もなく掌を返します。

 

【キレて、書いた】

 金曜日の朝、カーラジオでTBS朝の情報番組「グッとラック!」を聞きながら、ついにキレた私は帰宅するなり、次のような短文をネットに上げました(現在は削除済み)。

朝の情報番組で、
臨時休校のために学校にいけない小学校6年生の作文が延々と読まれていた。
友だちと勉強したい、遊びたい。
大人は仕事に行けるのに、なぜ僕らは行けないのか・・・。

私は泣いた。
子どもたちはこんなに学校が好きなのだ。

そこで思いついたのだが、
昨年あたりから熱中症対策でほとんどの学校にエアコンが入っている。だから夏休みも休む必要はない。
夏休みをなくして、その分、学校は1年を通して2時下校くらいにして、あとの時間を先生たちは事務仕事に充てる。部活動も4時前に終わらせてしまう。

そうすれば、先生たちの忙しさも緩和され、
親たちの「夏休み子ども在宅ストレス」も減り(ついでに「お昼、何を用意しようストレス」もなくなり)、そしてなにより、学校が好きで好きでしょうがない子どもたちの要望にも応えることになる。

新型コロナの臨時休校のおかげで、私たちはいいことを学べた。


 怒りに任せて短時間に書いた文なのでいつもに増して稚拙な感じですが、書きっぱなしで放置して三日ほどたって、昨日、削除するために改めて読みなおしたら、文章はともかく、内容は案外悪くないな、と思ったりしたのです。

 

【教員は内燃機関で動くロボットではない】

 政府は教員の働き方改革について、学期中の時間外労働分を長期休業中に取り戻させるという朝三暮四みたいな政策で凌ごうとしています。しかし教師はロボットではありませんから死ぬほど働いた分を夏休みにメンテナンスするというわけにはいかないのです。内燃機関があるわけでもないので、長期休業中に備蓄したエネルギーを学期中に振り向けるということもできません。

 やはり授業のある学期内に余裕を生み出さなくてはなりません。その場合、方策として考えられるのは人員を増やすか仕事内容を減らすか、あるいはその両方をバランスよく行うことだけです。
 しかし政府は予算の莫大にかかる人員増加は絶対にしませんし、仕事の方は小学校英語・プログラミング学習に見るように増やす一方です。

 もう八方ふさがりで出口がない、このままだと教職は最も魅力のない仕事になってしまう、実際、志願者も減っているじゃないか・・・と半ば怯え、半ば怒りながら悶々としていたのですが、今回突然気づいたのが、長期休業をなくして学期中の負担を平準化すればどうかというアイデアです。

 “どうせ教員は長期休業中も働いているのだから子どもの夏休み・冬休みもなくしてしまえ”
という考え方は、一部の教員の間では昔からあったものです。しかしそれは
 “教員に夏休みがあるのだから、少しぐらい忙しくても我慢しろ”
という世間の誤解に対抗しようという発想で、あまり真面目なものではありませんでした。
 けれどこれを“日常の負担軽減とセットにすれば――”
 そう考えると、案外いける気がするのです。

 その実現性について考えてみましょう。

(この稿、続く)