カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「死に逝く者にも義務がある」~カフェは月に逝った③(最終)

 金曜日の深夜に倒れて 4日かけてウサギは死んだ
 時間に余裕のあった分
 家族として できるだけのことをしてあげることができた
 私もそんなふうに 程よく病んで 程よく迷惑をかけ
 きれいに死んで行きたいものだ

という話。

f:id:kite-cafe:20191127065746j:plain(シーナの結婚式の引き出物に添える写真のために、ウェディングベールをかけられたカフェ《オスなのに》4歳のころ)

 

【カフェを飾る】

 予感通り、カフェは私のいない時間を選んで月に逝きました。

 私にはカフェが死んだらこうしてやろうと決めていたことがあります。それは糞にまみれた体を洗ってやることです。
 カフェが冷たくなっているのを確認するとすぐに洗面所に連れて行き、お湯で下半身を温め、こびりついた糞を指でほぐしてひとつひとつ剥がしました。思った以上に大変な仕事でした。中には石のように固い粒もあったからです。
 それからシャンプーで洗ってリンスをし、ドライヤーで乾かし始めたのですが、これもびっくりするほど大変で、30分以上かけても十分に乾いてくれません。豊かな毛が風になびかない。それでもめげずに結局40~50分もかけて元のふさふさな姿に戻しました。
 濡れていた時は切ないほどに痩せて見えた姿も、ようやく丸々とした感じに戻すことができたのです。

 お棺は特別なものを用意するのではなく、本来の飼い主であるシーナが買った靴の空き箱を使い、妻がレースで飾ってその中に横たえるようにしました。
 シーナが一番寂しい時、そばにいて慰めてくれた友だちです。親としてできるだけのことをしてあげなくてはなりません。
 
 

【最後の見送り】

 三日後、私たちは市の葬祭センターでカフェを火葬に付しました。奇しくも一年前のココアと同じ、雨の中でした。
 直前になって急に思い立ち、シーナに「TV電話で立ち会うか?」と問い合わせたのですが、あいにく第二子のキーツの予防接種で病院にいたのでそれはかないませんでした。シーナはその日までさんざん泣いたので、それ以上の苦痛も必要なかったのでしょう。
 天の差配に間違いはありません。

 遺骨は持ち帰らないことにしました。
 合葬される他の動物たちも、みんな葬祭センターで火葬にしてもらうほど大事にされてきたペットです。一緒に葬られるのも幸せでしょう。
 こうしてカフェと暮らす日々は終わったのです。
 
 

【ピンピンコロリの話】

 話は変わりますが、昨年の秋、私の叔母が91歳で亡くなりました。8年前に死んだ父の妹です。
 叔母は朝、新聞を取りに行った玄関先で倒れ、救急車で病院に運ばれたのですが、そこからすっかり元気を取り戻し、それでも念のため一晩泊まろうとした深夜、容態が急変して亡くなったのです。
 死ぬ1時間前まで翌日会うことになっていた友人のことを心配し、息子たちに連絡を依頼していたのにも関わらず、です。その息子たちが自宅に戻ってまだ靴も脱がないうちに病院から連絡があって、再度駆け付けると叔母はすでに息絶えたと言います。典型的な「ピンピンコロリ」です。

 その話を聞いて母が、「本当に羨ましい、あんなふうに死にたい」と言いますが、どんなものでしょう。苦しまずに済むのですから本人はそれが一番いいのでしょうが、残される側は簡単ではありません。
 突然の死に戸惑はなかったか、もっとああしておけばよかった、こうしておけばよかったと悔やむことはなかったか――。
 
 

【程よく病んで、毅然と死ぬ】

 8年前に88歳で亡くなった父は、最後の1週間を病院で過ごし、4日目からは意識のない状態でそのまま逝きました。
 母は一週間泊りがけで看病し、その母を休ませるために弟は勤務の終わった夕方から9時ごろまで、私は午前3時から出勤時刻までを病院で過ごしました。特に母は大変でしたが、それとてたった一週間のことです。

 ウサギと一緒にしては父に申し訳ないのですが、昨年死んだメスウサギのココアは半年も病院通いをした挙句、一カ月ほど食事を摂らなくなって最後は私のいないときにあっけなく逝きました。あっけないと言ってもそれまでに十分覚悟する時間はあり、世話もいつもより丁寧にできました。
 
 父もココアも今回のカフェも、皆、“程よく病んで”“程よく苦労をかけて”死んで行ったのです。それが私にはありがたかった。

 葬儀の席では「お悔やみ申し上げます」と言いますが、あれは「どんなに手を尽くしたとしてもやはり悔いは残る。ああすれば良かった、こうすれば良かったという悔いを、私もあなたと共有しましょう」という意味です。
 しかし父の時も、2羽のウサギについても、私は大きな悔いを残さずに済みました。

 ピンピンコロリはひとつの理想ですが、私は1週間くらい“程よく迷惑をかけて”死んで行きたい。
 そしてココアが最後は毅然とした姿を見せたように、さらにはカフェが自分の体を少しでもきれいにしようと糞をかじり取ったように、きちんとした姿で死んで行きたいものです。
 それが今回、カフェの死から学んだことでした。

 ケージの金網から指を差し入れると、頭を寄せて撫でてもらおうとしたのはカフェだけです。メスのココアはいつも一歩下がって喉を鳴らし、挑戦的に身構えて今にも飛びかかりそうでした。のんびり屋のミルクはたいてい尻をこちらに向けて気がつかないフリをしています。
 三者三様、どの子がいなくなっても寂しいですね。
 
(この稿、終了)