カイト・カフェ

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「校則には四つの目的がある」~校則の話③

 校則には四つの目的がある
 秩序をまもること 危険回避 公平を守るため
 そしてもうひとつ

 目的が四つもあるから内容は山ほどになってしまうが
 しかし大丈夫
 校則なんて全部覚える必要はないのだ


というお話。

f:id:kite-cafe:20190904074333j:plain(フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー 「男とのぞき紙芝居」)

 

【校則の四つの目的】

 校則には大別すると四つの目的があります。

 第一の目的は集団の秩序を守ること。
「遅刻をしてはいけません」とか、「授業中は静かにしましょう」といった類のものがこれにあたります。ただし違反があったとき、それを盾に「ここに書いてあるからダメだ」といった言い方で指導するためのものではありません。
 示されているのは行為の基準だからです。

 第二の目的は危険回避です。
「ベランダの柵に寄り掛かってはいけません」「右側通行をしなさい」「廊下は走らない」など。
 特に説明の必要のないところでしょう。

 三番目の目的として、公平を守るためということがあげられます。
 特に義務教育はすべての子どもが来ることを予定していますから、学校はそれなりの条件整備をしておかねばならないのです。

 学校給食はそのような理念のもとに始められましたし、制服が長く存在価値を持っていることにも同じ意味があります。弁当の中身によって生徒が無用な劣等感を持つことがないように、有名ブランドや高価なコートが買えなくても安心して学校に来られるように、そういった配慮が校則には盛り込まれているのです。

「髪を染めるな」とか「アクセサリーを持ち込むな」といった、子どもからはしばしば評判の悪い校則も、いったんここに入れます。
 学校に必要なものは仕方ないにしても、生きて学んでいく上で不必要なものには一銭も出せないといった家庭もあるのです。貧乏なばかりに髪も染められずアクセサリーも持てず、それでイジメられるようでは可哀そうです。
 
 
 

【「当たり前すぎる校則が山ほどある」という批判に対して】

 こうした配慮から作成される校則は、かなり具体的なことを細々と書くので、どうしても大部になりがちです。そのため人によっては、
「こんな常識的なことまでいちいち校則に書く必要があるのか」
という疑問を呈する方もおられます。それに対する答えはこうです。

「人は常識を覚えて生まれてくるわけではなく、小学校や中学校に入学する際に、それぞれの学校にふさわしい常識を身に着けて入ってくるわけではない」

 子どもたちがすべて健全な常識を持って入ってくるとしたら、小中学校に道徳教育はいりませんし、生徒指導もなくなってしまいます。

 現実の子どもは驚くほど未熟です。
「ベランダの柵に寄りかかってはいけません」
という言葉を聞いて初めて、ベランダには危険な場所があると知るのが子どもです。授業中は静かにするのが当たり前ということも、繰り返し言っておかねば身につきません。彼らには指導が必要です。
 
 
 

【校則が覚えきれないキミに】

 校則の項目のあまりの多さに呆れて、
「こんなにたくさんの校則、覚えきれないよ」
と訴える子どもがいます。しかし大丈夫。

 私は覚えていたはずの道路交通法のほとんどを忘れてしまい、刑法も商法もまるで分かっていませんが、それでも40年以上自動車の運転を続け、60年以上一度も逮捕されずにきています。

 校則なんて全部覚える必要はないのです。ただ、
「学校は、大勢が集まって、勉強や人間関係を学び、健康な体をつくる――知育・徳育・体育の場だ」
ということだけを覚えておき、それを基準として無茶をせずに暮らしていれば、まずは校則に引っかかったりしないからです。
 
 
 

【第4の目的】

 さて、私は意図的に4番目の目的を外してきました。
 これだけが異質で、付随的で、教師側の要請によるものだからです。児童生徒の行動の指針でも安全対策でも公平性のためでもありません。
 校則が「子どものサイン」の発生装置として実に優秀な働きをするから、はずせないのです。
 
 それについては明日、お話しましょう。


                        (この稿、続く)