学校の出した回答不能の宿題がネット上で笑われている
しかしそんな問題が出されたとき 普通の親はどう対処しているのだろう
子どもの問いかけに答えられないとき どうしたらいいのか
そのために何を用意しておけばいいのか――
というお話。
(ルノワール 「ヴァルジュモンの子どもたちの午後」)
【ネットを賑わした超難問】
小学生の娘が持ち帰った算数の問題が超難問で、親も頭を抱えたという話がツイッターで話題になったそうです。
三角形の作図の問題なのですが「辺の長さが6cm、3cm、3cmの二等辺三角形」を描くのだそうです。
この話題について私が困っているのは、ツイッター上に繰り広げられるつぶやきの何割くらいの人がこの問題に大真面目で悩み、どれくらいの人が作図できないことを真剣に説明しようとし、あるいは「空間のゆがみ」とやらを利用してできないものかと頭を悩ませ、さらにあるいは悩んでいるふりをして問題作成者をあざ笑っているのか、よく分からないことです。
みんながみんな高度な悪ふざけをしているなら、それを今ごろ取り上げて真面目に扱い、嘲笑されるのではかないません。
私はけっこう気が小さいのです。
と、そう思って改めて見ると、そもそも発端となったツイート自体がフェイクという可能性もないわけではありません。
今どきこんな“手づくり感”満載のプリントをつくる先生がいるだろうか――。
【解けない問題が子どもに渡された理由】
最初に問題を見たとき、
「あ~あ、この先生、よほど疲れてるんだな」
と同情したりもしたのです。というのは私自身も手づくり教材を作成している最中、意識がもうろうとしてとんでもない問題をつくってしまったことがあるからです。
その極めつけは次のようなものです。
「よし子さんは8才です。お母さんはよし子さんの年れいの4倍よりも3っつ年上です。お父さんの年れいは何才でしょう」
もっとも児童の3分の2は「35才」と書いてきましたから、丁寧に問題を読んでいるかどうかのテストにはなったのですが――。
しかし「超難問」のツイートを読み進んだら、
「見たことのある問題集… これ、私の小学校でも使われてたんですけど、問題の間違いが多くて途中から違うプリントになりました…w」
というのがあり、それで合点がいきました。
そう言えばむかしは「そのまま印刷できる手づくりプリント」みたいな問題集がいくつも売られていました。手書き感のあるプリントはけっこう人気があったのです。
今では先生たちの本物の手づくりだってワープロの仕様ですから“手書き感”などなくてもいいのですが、学校は貧乏ですから印刷室の書棚には今でもそんな冊子が並んでいるのかもしれません。それをチェックもせずに増し刷りしたからこんなことになるのです。
市販の問題集をいちいち調べるような余裕は、先生たちにはありません。せめてその問題ひとつに✕をして使えないようにするくらいの余裕があれば、次の先生の同じミスは防げるのですが、それすらもない。
かくして同じ過ちが何回も繰り返される――。
【親はどうしたのだろう?】
さてそこまで順を追って見てきて、最後に気になったのは話の発端となった親御さんがお嬢さんからSNSで相談され、いったんは「帰ったら教えてあげるよー」と返事をして家に戻ったあと、どうしたかということです。
全体の印象からするとすぐに問題の不備に気づいて、
「これは出題ミスだから、明日、先生に“できませんでした”って言ってごらん。他の子も同じだからきっと大丈夫だよ」
と言ってあげたような気がします。SNSを使ってまで相談したくなるような親御さんですから日ごろから丁寧に見ておられるのでしょう。そういう人が気づかないはずがありません。
しかし世の中にはそうならない人だっているのです。
【子どもの質問にすべて答えられる必要はない】
私は40年以上前に、奈良の東大寺三月堂で出会った一組の親子が忘れられません。夫婦と二人の男の子だったと記憶していますが、そのお兄ちゃんの方、小学校4年生くらいの子が父親にさかんに話かけるのです。
連れてきてもらったのがうれしかったのでしょうね。昨日お話しした孫のハーヴ同様の「なぜなぜ少年」なのですが、しかしその質問のほとんどにお父さんは答えられない。
「お父さん、この仏様すごく怖い顔をしてるけどなぜ?」
「手に持っている杖みたいなのは何?」
「天井の四角いヤツって何なの?」
「お父さん、日光ナントカとか月光ナントカって何?」
そのころにはお父さんもすっかり投げやりになってきたらしく、
「そんなの分かんねぇなあ……月光仮面! ナンチャッテな!」
見ている私はなんとなく切なくなってしまいました。
もちろん仏像や仏具・仏事のことなど一般的ではありませんから知らなくてもいいのです。しかし冗談でごまかすのではなく、もっと他の対処の仕方があったと思うのです。例えば、
「仏教のことは難しくてよく分からないんだよ、お父さんもほとんど知らない。でも大事なことだからあとで調べられるように、何だろうと思ったことはメモしておこう。お父さんも手伝ってあげるから」
そんなふうに言ってもよかったのです
【勉強をする理由】
私の友人は医師ですが、医学部を受けようとする息子の勉強を入試直前まで見てやることができたと言います。
「数学と化学だけは最後までオレの方ができた」と言うくらいですからさすがです。しかし普通の親だとせいぜいが小学校止まりでしょう。そして小学校6年生くらいまでは何とか見てやることができなくてはなりません。子どもも困っているのですから。
それが、私たちが勉強しなくてはならないひとつの理由です。
高校三年生まで必死に勉強すれば20年後に半分忘れてしまっていても、6年分くらいは頭の中に残っているものです。それで何とか賄えます。