「独身介護の残酷」〜親子と介護と結婚の話2

【息子介護】

 最近とみに聞かれるようになった言葉に「息子介護」があります。息子を介護するのではなく、息子が中心になって行う高齢者介護のことを言います。

 「娘介護」や「嫁介護(あるいは婿介護)」などと一緒に出てきてもよさそうなのに「息子介護」だけが評判になることにはいくつかの理由があります。

 それはおそらく私たちに「介護は女がするものだ」という思い込みがあって、そういう無意識の差別、無意識の常識から逸脱する事象なので敢えて名がついたという側面がひとつです。

 しかし厚生労働省の2016年版『国民生活基礎調査』によれば、同居の主たる介護者が「息子」という割合は17.3%。「娘」(19.9%)との差は縮まり「息子の妻」(16.3%)を超えてしまっているのです。もはや「嫁に面倒を見てもらう」は常識ではないのです。

 第二に、それにもかかわらず、高齢者の虐待に関する調査によれば「被虐待高齢者からみた虐待者の続柄」のトップは「息子」で40%にも上っています。つまり虐待の加害者になり易い「息子」、が同時に主たる介護者であるといった危険な状況が生まれやすくなっているのです

 「息子介護」が特に問題となる三番目の理由は、恥ずかしいことですが、たいていの男たちが介護の基本的スキルを持っていないということです。介護というほどのこともありません。料理だの、洗濯だの、掃除だのといった基本的な生活スキルのないことに、介護生活に入って初めて気がつくといった風なのです。したがって介護のハードルが最初から高くなります。

 4番目は、些末なことでしかも重要な点なのですが、「息子介護」を受ける相手が母親である場合が多く(父親の介護の時は母親がやってくれた)、異性なので下の世話等に抵抗感が強いといったことも挙げられています。

 そして最後に「息子介護」の「息子」たちの半数が、独身(未婚・離婚・死別)だということです。独身の何が問題かという点については後に触れます。

【ではどうしたら・・・】

 第一の「介護は女がやるものだ」と思い込んでいた差別意識や、三番目の「生活(介護)スキルが全くない」という問題については、私たち(男)が深く反省しなくてはならないことです。意識変革を果たし、いくらハードルが高くとも料理や洗濯と言った生活のスキルを高めていくしかありません。

 4番目の異性間問題=「母親の介護をする息子」の件は、「父親の介護をする娘」と相殺すべきでしょう。やり方を工夫するしかありません。

 2番目に戻って「息子介護は、虐待の加害者になり易い者を高齢者のそばに置くことになる」というのは見過ごすことのできない問題です。

 ただし『介護者である息子が虐待の加害者になっている』ことを示す資料があるわけではなく、必ずしも「息子介護」が虐待の温床になるというものでもありません。

 元医療少年院所長の小栗正幸氏が「非行の最大のリスク・ファクター(危険因子)は男の子であることだ」と語っているように、男性は心のどこかに暴力装置をもっていますから、注意して見守ることは必要ですが、断定的な発言は控えましょう。

 この件についてはいつか改めて扱います。

 今考えたいのは5番目、「息子介護の“息子”の半数が独身」だということです。そう言うと「独身の何が悪いのか」と噛みつかれそうですが「いい」「悪い」の問題ではありません。とんでもなくに大変だということです。

【独身介護】

 例えばよくありがちな「母一人、息子一人」のような例を考えてみましょう。息子に兄弟のあるなしはあまり関係なく、同居人として「母一人、息子一人」のような場合です。息子も高齢で年金生活に入っている、ということであれば問題は少ないので別にします。

 困るのはそうではなく、息子が40代、50代の働き盛りで、しかも離職以外に介護の道がない場合です。

 公的福祉施設はたいていが要介護度3以上でないと入れませんし、民間施設だと月額10万〜30万円といった費用がかかります(そしてほとんどの場合、安いところは埋まっています)。つまり要介護度が2程度で、月々の支出に限界があるとなると息子が離職して親の面倒を見るしかなくなってしまうわけです。

 もちろん収入がなくなっても介護をしているあいだ、つまり親の生きているあいだは親の年金で暮らせます。しかし死んでしまうとそれも途絶え、息子は自分自身の生活を考えなくてはなりません。再就職といっても40歳〜50歳で離職して、数年間介護生活を送ったブランクある男性に、相応の仕事があるかどうか――。

 十分な預金や不労所得があれば別ですが、そうでなければ生活は一気に苦しくなります。

 残酷な未来予測をすれば、親の死んだ家に一人で残り、アルバイト生活を続けて年金の入るまでの年数を頑張る。しかしそうやって頑張っても、やがて彼自身が介護を必要とするころには、面倒を見てくれる家族が一人もいない。そういうことになりかねないのです。自分は親の介護をしたのに。

 もはやこれは「息子介護」の問題ではありません。状況が揃えば「娘介護」だって同じですから「独身介護」というべきです。

【愛がすべて……ではない】

 13年前、私はこのブログで次のように書きました。

 仕事はどんどん外に出て行き、家族で協力して行わなければできない職業はほとんどなくなってしまいました。病気や老後の保障は、もはや家族の問題ではなく社会福祉の問題です。家族に面倒を見てもらわなくても、社会が何とかしてくれます。子どもの養育と教育の問題は、保健所と保育園・幼稚園・学校の連携の中で行われるべきものだ(すくなくとも自分がやらなくてもなんとかなる)と考えられるようになってきています。

 そうなると「家族」の必要性は、�D「癒しの問題として、安心して心理的に寄りかかれる関係(愛情関係)がどうしても必要」だけになってしまいます。

したがって�Dが達成できないと、その家族関係はまったく無用なものとしてどんどん解消されていきます。また、そもそも愛情関係が保障されないと家族を営もうという気にならないのです。

 まさに「愛がすべて」なのです。(2005/12/21「愛がすべて」

 ところが私はとんでもないことを見落としていました。社会福祉はすべてを網羅できないのです。

「人々は一定の年齢になったら結婚して子どもを産み、70歳をそこそこ過ぎたころに死ぬ」

 そういった昭和の生涯モデルを前提に設計された福祉制度は、平均寿命が80歳を越え、男性の5人にひとり、女性の6人にひとりが生涯未婚という状況を全く想定していなかった、つまり家族を持って、家族で協力し合わないと乗り越えられない困難が新たに出現してきたのです。

【結婚のススメ】

 昨日、「子どもが嫌がる三つの言葉、『早く定職につけ』『結婚しろ』『子どもはまだか』」について少しふれました。しかし今こそはっきり言えます。

 したくても定職に就けない人、結婚できない人、子どもに恵まれない人の話は本質が異なるので別にしましょう。

 そうではなく、意識して定職につかない、結婚しない、子どもを持たない選択をした人は、それなりのリスクがあるということです。

 年寄りは「結婚でもしていないと、歳をとってから寂しいよ」などと悠長なことを言ったりしますが、介護の問題を絡めると話はそんな牧歌的なものではなく、極めて深刻な生存問題になりかねません。

 結婚さえしていれば、自分は働き続けて妻に介護を担当してもらうといった昔ながらのやり方ができます。あるいは妻に仕事を続けてもらって、自分の方が介護離職するとか、二人でガンガン稼いで介護は民間施設にお願いするとか、選択の幅は大きく広がります。

 夫婦そろって自分の親の介護に迫られる場合もありますが、それとて時間差がありますから何とかしのいでいけるものです。

 結婚さえしておけば仮に子どもがいなくても、老後を見越して十分な貯金する余裕も生まれますし、そもそも自分たちの介護は先に必要になった者が元気な方にやってもらえばいいので一人分はタダです。

 人が愛のために結婚するようになったのは、日本の場合、わずかここ数十年のことで、昭和の20〜30年代だって親に決められて結婚する人はいくらでもいました。式の当日に初めて顔を見たという例もあったくらいです。

 結婚は生きていく上での必要条件でした。そして今、新たな事情によって「結婚しておかないいとやばいかな」という時代が来ているのです。親もいろいろ言いたくなるのは当然です。

 ただし、そうは言っても結婚するかどうかは個人の問題で、しないと決めたら今から十二分に働いて、たっぷり稼いで自分と親の老後のために憶に近い資産を残せばいい、ただそれだけの話だと言うこともできます。

 そう言って親を説得すれば諦めてくれるかもしれません。