「理不尽な世界で理が構成される」〜日大アメフト事件の憂鬱1

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(フォトAC)PhotoAC

【無様な反則】

 ちょうど半世紀ほど前、私は田舎の中学校の3年生で、バスケットボール部員として市内大会に出ていました。入ったばかりの1年生を除いて25人ほどいるチームの14番目というのが私の実力でした。本来ならユニフォームももらえない位置です。
 そんな私が試合に出してもらえたのには、特別な理由がありました。相手チームのポイントゲッターを“潰してくる”という使命があったからです。
 監督からは事前に、“相手エースの持つボールを取りに行き、はずされたふりをしてその瞬間に太ももを蹴ってこい”と言われていました。後半で疲れがたまってくると軽く膝で蹴っただけで痙攣をおこし、退場するというのです。そのための練習もしてきました。

 対戦相手は大したチームではありませんでしたから、おそらく将来に向けてのテストだったのでしょう。私としてはかなりうまくやったつもりでしたが相手は痙攣を起こすこともなく、逆に私の方は危険プレーで一発退場です。
 惨めでした。自分の役割は明らかに捨て駒であり、それですら満足に果たせなかったからです。練習した私ですらできないのだから中学生には無理と踏んだのか、以後同様の指示は誰に対しても出されることはありませんでした。そして私も二度と試合に出ることはなかったのです。

 半世紀も前の個人的な事件を思い出したのは、もちろん今回の日大アメフト部の事件があったからです。
 最初ビデオを見た時、そのあまりにも無様な姿に、思わず自分を重ね合わせていました。一流の選手だったら反則だってあんなに下手クソではないはず。もっとギリギリのところまで持って行き、審判も迷うほど絶妙なタイミングで目的を果たすはずです。
 プレーが止まって2秒も経ってからのタックルでは、誰だって怪しむに決まっています。もしかしたら彼も捨て駒で、わざとこれ見よがしに反則をして、指導者たちに見せつけたのかもしれません。
「さあ言われた通りやりましたよ、満足ですか? 自分はこの程度の人間です」
というわけです。
 ところが私の想像は5分ともちませんでした。反則を犯した選手は捨て駒どころか日大ディフェンスの中でも飛びぬけて優秀で、チーム内にライバルが一人もいないという逸材だったからです。
 それで分からなくなりました。

【この事件の不可思議】

 日大フェニックスは昨年の甲子園ボウルの覇者です。しかも関西学院大関係者ですら感激するほどのクリーンな試合運びで、1試合の平均反則数はわずか2。技能の高いチームは反則も少なくなるのです。
 そんなフェニックスが6日の試合では五つの反則を犯し、そのうち三つまでが同じ選手によるものでした。しかも最初の反則は相手クウォーターバックが半身不随になっても不思議がないような危険なものです。誰だって怪しみます。
 マイナーな競技であるアメフトなのに、これだけ問題が大きくなった理由の一つがそれです。なぜそんな異常な事件が起こったのか、素人でも首を傾げます。
 
 今回の事件を大きくしたもう一つの理由は、言うまでもなく日大本部の呆れるほどの対応の遅さです。事態の重大さに気づかなかったというだけなら多少は理解できます。しかしSNSやマスメディアが大騒ぎを始めてもなお何もしないという徹底は、現在の日本の状況を考えると到底理解のできることではありません。

【前監督とコーチの三分の理】

 22日の加害選手の記者会見、それを受けて行われた23日の元監督・コーチの記者会見、この二つを通して事件の概要はだいぶはっきりしてきました、
 加害選手の話は具体的で理路整然としており破綻がありません。それに対して元監督のたちの話はしばしば支離滅裂です。
 もうフットボールはできない、やらない、と捨て身で会場に向かった“選手”と、学校・アメフト部・学生、そして自分の家庭や自分自身と、まだまだ守らなければならないものの多い元監督たちとではどうしても後者にウソが多くなります。

 昨日の新聞やテレビは元監督・コーチ・日大本部、ついでに日大広報部担当者(司会)に対する非難で喧々囂々。私も基本的には同じ立場ですが、それでも元監督たちの“三分の理”に気持ちが動かされないわけではありません。
 その“三分の理”とは、二人とも加害選手に対してとんでもなく大きな期待と愛情を寄せていたということです。特にコーチはそうです。

 滅多に出会えない逸材を手に入れた、それを十二分に育てたくて精一杯やってきた、何とか今の殻を破って一回り大きくなってもらいたい、そんな思いがひしひしと伝わってきます。その二人が犯罪を教唆した責任者のように弾劾され、宝石のように大切な才能を失うのです。しかも宝石は誰かの手に渡るのではなく、自ら消滅しようとしています。
 今回の事件が陰惨な印象を与えるのには、そうした理由もあります。

【選手の目に見えていた世界】

 加害選手の会見内容が具体的で理路整然としていたからと言って、語られたことが真実だとは限りません。それは彼の見方感じ方であって、破綻がないのは彼の心の中ですでに整理されているからです。

 5月5日の練習後、コーチから「監督にお前を、どうしたら試合に出せるか聞いたら“相手のクォーターバックを1プレイ目で潰せば試合に出してやる”と言われた」というのも、
クオーターバックを潰しに行くんで僕を使って下さいと、監督に言いにいけ」と言われたのも、
 6日の試合前にコーチに確認しところ「いま言ってこい」と言われ、監督に直接「相手のクオーターバックを潰しに行くんで使ってください」伝えたら監督から「やらなきゃ意味ないよ」と言われたのも、すべて事実でしょう。
 しかし一言一句、正確に反映しているわけではなく、その他の言葉が全くなかったわけでもないでしょう。特にコーチはものすごくたくさんの指示や指導、励ましの言葉をかけていたはずです。
 その中から、選手は記者会見で話したような言葉だけを選び出し、記憶に留めたのです。監督やコーチの意図は全く別のところにあったのかもしれないのに。

 私は加害選手を非難しようとしているのではありません。まさにこの点が加害選手と元監督・コーチとの間の乖離の本質だと言いたいのです。

【理不尽な世界で理が構成される】

 監督やコーチには加害選手を「こちら方向に振り向けよう」という意図あるいは作戦がありました。具体的には“もっと激しいプレーのできる、一皮の剥けた選手にしたい”ということです。
 それをストレートに表現すればよかった。
 しかしそうはせず、これといった理由もないのに唐突に練習から外した。
「日本代表に行っちゃ駄目だよ」と理不尽な指示をした。
「相手のクォーターバックを1プレイ目で潰せば試合に出してやる」といった話も耳に吹き込んだ。
 案外注目されていないことですが、突然、丸坊主にして来いと言われたのも強い圧力になっています。
 とにかく元監督やコーチの真の意図は隠され、「二の四の言わず服従しろ」という強力なサインが出続ける。

 その服従の最初のものが練習から外されること、後輩の面倒を見ていただけなのにグランド10週走を課せられること、丸坊主にさせられること、交流戦のスターティングメンバーに名前がないこと、そして試合で相手のクウォータ・バッグを“潰すこと”です。
 この異常な流れからすると、“潰す”がいつもと同じ「そのくらいの気持ちで頑張れ」といった意味でないことは明らかです。文字通り負傷させて来なければならない。
 なぜそうしなければならな

いかは分からないし質問も許されていない。しかし一昨日のハドルの際に、コーチは「とにかくケガをさせる(くらいの)つもりで向かって行け! 万が一ケガをさせても、相手のクオーターバックが秋の試合に出られなかったら、こっちの得だろう?」と言っていた。「交流試合なんてなくなっていい」とも言ったことがあった――そういう言葉も彼の心の中で採用されます。

 かくして前代未聞の暴力事件の準備が整います。
 この理不尽な世界からの出口は、一か所しかありません。

(この稿、続く)