「『呪われた五輪』の舌禍事件はあれでよかったのか」~デジタル・タトゥー、誰も忘れてくれない①

 ようやく始まったオリンピック。
 ここまでくる道のりはほんとうに大変だった。
 しかし今、落ち着いて考えるとあれでよかったのかと思うことも少なくない。
 五輪の呪いは、オリンピックが終われば解けるものなのだろうか。

という話。

f:id:kite-cafe:20210729061722j:plain

(写真:フォトAC) 

 
 

【呪われた五輪】

 思えば今回の東京オリンピックは最初からケチのつきっぱなしでした。
 オリンピック招致の言い出しっぺの都知事石原慎太郎さん、招致決定の時は猪瀬直樹さん、次が舛添要一さん、そして今の小池百合子さん。韓国の大統領ではありませんが、現職以外はロクな終わり方をしなかったり後に厳しく非難されたりしています。
 現都知事になってからも築地問題で輸送計画が二転三転、都心で行うコンパクトな大会のはずがあちこちに分散され、ボート競技が行くかもしれないと言われた宮城県知事も散々振り回された挙句、結局、元のさや。
 早々に決まっていた新国立競技場も実際に建てようとしたら計画の2倍以上の予算がかかる、そもそも不可能な設計だとかでコンペからやり直し。エンブレムは決まった直後に作家に盗作疑惑が出てこれもやり直し。挙句の果てがコロナ事態での1年延長。

 今年に入ってからはさまざまな舌禍、過去の悪行の露見とかで、森会長を始めとしてたくさんの関係者が現場から消えていきました。「呪われた五輪」と言われるのもやむを得ないのかもしれません。
 
 

【あれで本当に良かったのか】

 それぞれの舌禍事件の際は私も呆れ、怒り、
「こんな人、オリンピックの関係者から早くいなくなあれ」
とばかりにその様子をただ見送ったのですが、今になるとあれでほんとうによかったのかという気がしないでもありません。もちろんやったことは悪いに決まっていますが、罪と罰の対応は適切だったのか、辞任・解任にまで追い込むほどのことだったのかと考え込んだりします。

 例えば森喜朗前会長の「女性がたくさんいる会議は長くなる」という発言。好ましいものではありませんが招致のころからずっとご苦労いただき、おそらくこのオリンピックを最後に第一線から手を引いて隠居生活に入るだろう人を一敗地にまみれさせ、汚辱の中で消していかなくてはならないほどの重大事案だったのかというと、そうでもないような気がしてくるのです。
「昭和のジジイ、何も分かっちゃいねぇなあ」
で、見過ごすことはできなかったのか。

 東京五輪パラリンピックの開閉会式の企画・演出で全体の統括役を務めるはずだった佐々木宏さん。渡辺直美さんを使った「オリンピッグ」のアイデアはLINEの企画会議でも参加者からケチョンケチョンに言われたみたいですが、これも昭和のオッちゃんの話、バカにしていいことですが辞任するほどのことでもなかったのではないのか。

 もちろん開会式の音楽を担当していた小山田圭吾という人の、障害者を虐待した話はだいぶ異なります。27年前の雑誌の中で、私立の中高一貫校にいたころ自らが指示して行った虐待について実にあっけらかんと、面白おかしく話しているのです。
 中には創作部分もあるような気もするのですが、話半分だとしても犯罪です。内容を知って、胸糞が悪くなるような類のものでした。
 ただ、これに関しては27年間に幾度か問題になり、そのつど小山田氏が謝罪してきたという経緯があるようです。事情を知るインフルエンサーの中には「いったい何度謝ればいいんだ」と擁護に回る人もいましたが、その人のSNSも大炎上で謝罪に追い込まれたりしています。
 しかしこれまで小山田氏が何回謝罪したかはどうでもいいのです。オレはそれを見ていないしオレの心の中では決着がついていない、だから謝罪の上で辞任すべきだ、否、そもそも表舞台に立つべきではなかった――
 そうした世間の風に、私も同調しました。しかしそれでよかったのか?

 小林賢太郎という人の「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」となるとさらに微妙です。23年前の漫才の一部で、
「(プロデューサの)戸田さんが、作って楽しいものもいいけど、遊んで学べるものも作れって言っただろう」
から始まり、紙を使った野球をやろうといった話に進んで、スタンドを紙で作った人間で埋めつくして・・・となって、
「おお、いいんじゃない。ちょうどこういう(手で示す)人の形に切った紙がいっぱいあるから・・・」
「ああ、あのユダヤ人大量惨殺ごっこをやろうって言ったときの、な」
「そう、そう、そう、そう、そう」
「戸田さん怒っていたよなあ、放送できるか!ってなあ」
と一瞬でてくる話です。

 森さんや佐々木さんのような「昭和のジジイ」的発想で済まされる問題ではありません。ユダヤ人虐殺問題は昭和であっても軽々しく扱ってはいけない、いや昭和だからむしろ丁寧に扱っていたことです。それが平成になったらひょこんと出てくる――あまりにも無知、そして無恥、浅はかにもほどがある話です。
 ただ、しかし23年も経ってからアメリカの反ユダヤ主義監視団体(SWC)の抗議を受け、全世界から非難されほどのことかというと、それも違う気がします。そこまでたいそうな話ではない。
 
 

【デジタル・タトゥー、誰も忘れてくれない】

 だからこうしたことについて、改めてみんなで考えてみましょうという話をしているわけではありません。すべて済んだことですし、辞任または解任された人たちが再び表舞台で活躍しようとしない限り、蒸し返されることもないことです。
 しかし小さな会合で私的にしゃべったことが突然おおやけにされ、あるいは20年も30年前のできごとが引きずり出されて、人生の最も大事な場面でより多くの人に共有され糾弾されるということは今後も続いていくだろうということ、そうした状況に私たちはもっと敏感でなくてはならないということです。

 ネット環境に関しては日本よりも先進国であるアメリカや韓国では、すでにそういう社会になっています。アメリカではたくさんの映画俳優・スター歌手が過去のいじめやおろかな発言のために糾弾され謝罪しています。韓国の女子バレーボール界では今回東京に来るはずだった双子の美人アスリートが、過去のいじめのために永久追放になっています。

 今回のオリンピックで舌禍事件が続くのは「呪われた五輪」のせいではないでしょう。選挙や任命の際の身辺調査、それに似た人物検査がネット市民によって自主的に、大量に、徹底的に行われ、掘り出されたものが瞬く間に共有される、そうした時代の到来と東京オリンピックがたまたま重なっただけなのです。

(この稿、続く)