「友だちに会うために学校に来る」〜普通の子どもたちの生き方

f:id:kite-cafe:20200818093133j:plainトマス・エイキンズ 「チェスプレイヤー」 (1876)

  以前お話ししたことがあったかどうか――私は幼いころに中耳炎を病んで、以来左耳が聞こえにくいところがあります。
 若いころは左から声をかけられても右に振り向くといった感じでなかなかしんどかったのですが、歳をとるにしたがって右も鋭敏さを失い、むしろバランスが良くなって苦痛も軽減されてきました。
 しかしそれでも飲み会の席などでは左の会話がよく聞き取れないので、可能な場合は席を替わってもらい、できるだけ左端に寄せてもらって右から声を受けるようにしています。

 先日も50年来の友人と飲む機会があり、とは言っても二か月にいっぺんずつ会っているのですが、席に着くとき、
「オレ、左耳が悪いのでこちらの席にしてくれ」
と言って一番奥の席にずかずかと入れさせてもらいました。そのとき、友人のひとりが笑いながら、
「半分、青い」
と言います。
 一瞬なにか分からなかったのですが、すぐにNHKの朝ドラの主人公も左耳が聞こえないという設定だったことを思い出して、「青くはねぇだろう(年寄りだから)」と、私も笑って答えました。

 それと説明しなくても朝ドラのことが話題にできるのは年寄になった証拠ですし、50年つき合った仲間なのに未だに左耳のことを言わなければならないのも、そして「半分、青い」を持ち出して軽くからかったりするのも、彼らがまったく気にかけていないという意味で好ましいものでした。そんなふうに半世紀つき合ってきたのです。

【他に友だちはいない】

 考えてみると30年も教員生活を送りながら、職場内に友人らしいひとはひとりも持つことなく来ました。少なくとも今も会うような人はいません。人生も終盤に差し掛かり、見回せば、友だちと呼べるのは中学高校時代につくった今のメンバーだけです。

 たしかに教員時代は常に忙しくて学校を出る時刻はバラバラ、田舎の生活は自家用車なしには考えられないので「帰りがけに、一杯やっていきましょう」などといったことはなく、持ち帰り仕事をいつも抱えていましたから、食事に誘うのも気が引けました。
 だからじっくりと私事を話すこともない。どんな生活を送るどんな人なのか、深いところでは分からずじまいでした。
 もっとも妻は教員世界に何人かの友だちを持っていますから、環境と言うよりは私自身の性格に大きな問題があるのかもしれません。
 しかし今もつき合うあの連中がいなかったら、私の人生はどんなものになっていたのでしょう?

 まず、彼らがいなかったら教員生活を続けている間中、学校外に心許せる関係は一つもなかったろう、ということがあります。
 退職した今は、外にわざわざ飲みに行くのは元教え子に誘われてのミニ同級会を除くと、この連中との飲み会だけです。たぶん死ぬまでこの状況は変わらないでしょう。彼らがいなかったら寂しい老後になってしまうところでした。ありがたい人たちです。
 しかしほんとうに感謝しなくてはならない事情は、むしろ青春時代にありました。

【ほんとうに面倒くさく困った子】

 昨日、私は「基本的に悩むということのない人間です」と書きましたが、それはもしかしたら若い時期に一生分を迷い、悩んでしまったからなのかもしれません。今から考えるとそのくらい面倒くさくて難しい子どもでした。
 意味もなく繊細で、年じゅう心の奥底に暗いものを抱え、いつでも傷つく準備ができていて、他人が触りどころを間違えると一瞬にして崩れ落ちそうなガラス細工の神経です。
 ものすごく経験を積んだ今の私でも、じっくり腰を据え、ある種の覚悟をもって対峙しなければ危険な子、危うい子、それが中学から高校、大学生のころの私です。

 そんな調子ですから成績は伸びず、部活も中途半端に終ってしまい、恋愛もうまく行きません。八方塞がり、五里霧中、生きる目標も情熱もなく、ただ存在している、そんな時間が10年近くも続いたのです。

 しかし結局、私は人生から降りることをしませんでした。高校をきちんと終了し、大学にも進み、ブラックとはいえ企業勤めをし、最後は教員となって有意義な半生を全うできたのです。
 それはすべて彼らがいてくれたおかげです。

【友情ではない、責任でもない、ただ遊んでくれる人たち】

 友情だとか、信義だとかを持ち出すような人たちではありません。親友などといった関係でもありません。
 50年間、個人的な問題で何かを頼んだことはありません。頼めば何とか手を尽くしてくれると思いますが、頼まなければたぶんなにもしてくれない。おそらく「窮状を見かねて」、といったこともなさそうです。声をかけてくれることすらないのかもしれません。
 ただし高校生のころや大学生のころ、そして大人になってからも、バカなことだけはつき合ってくれました。

 高校一年生のころは、毎日下校時間にやっていた座布団ボクシングが生きがいでした。座布団を握ってグローブ代わりにし、殴り合うだけの遊びです。それぞれふざけたリングネームをつけって、勝ち負け表までありました。
 文化祭では仲間として仮装大会や演劇祭に出場し、数々の賞を獲得しました。そして大学生になってからは、とにかく飲んでばかりいました。
 全く生産的でなく成長に寄与しない、ばかな関係です。けれど一緒にいてくる、何かあれば誘ってくれる、いつまでも忘れずにいてくれるーー。

 高校のころにもどると、学校なんてさっぱり好きではありませんでしたが、彼らに会って遊ぶために休みもせず、サボることもなく通い続けることができました。
 大学生の後半は、さらに心病んで引きこもりがちになっていましたが、彼らとだけは繋がっていました。私には彼らと繋がる一本の線しかありませんでしたが、彼らは無数の線で社会とつながっていましたから、どんな場合も“社会”は私の目の前にあったのです。彼らを通して、私は社会とつながり続けることができたのです。
 そしてその関係さえつらくなりかけた時、彼らは麻雀パイをもってドカドカと私のアパートと、私の心の中に入り込んできます。絶対に一人ぼっちにさせてくれない――。
 おかげで、妻と子がいて孫もいる、満ち足りた今日の私がいるのです。

【子どもたちは、友だちに会うために学校に来る】

 子どもたちは先生に会いたくて学校に来るのではありません。
 中には高い目標をもって自己実現のために学校に通い続ける子もいますが、それはごくまれな例外です。
 部活をやるために学校に来る子も少なからずいて、彼らにとって授業や特別活動は部活のための木戸銭みたいなものです。しかし悪いことではないでしょう。
 そして一番多い「普通の子」たちは、友達に会うために学校に来ているのです。それ以外ではありません。
 家にいても、友だちがいないからつまらなくて学校に来る、それが普通の子の姿です。

 ですから学校に友だちのいない子、友だちに背かれた子たちの日常や人生は、ほんとうに大変だろうなと思うわけです。
 その子たちはこの先をどんなふうに生きて行くのでしょう?
 そしてどうしてそういう子たちは生まれてくるのでしょう?