カイト・カフェ

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「カッシーニ」〜土星探査機の話

f:id:kite-cafe:20200109080743j:plain NASAのサイトより

 アメリカの土星探査機カッシーニが最後のミッションに入り、まもなくその役割を終えるそうです。1997年に打ち上げられ、20年に渡って活動してきた探査機ですが、燃料切れの日が近いのです。

 最後のミッションというのは土星の輪に対して縦に周回しながら22回に渡って繰り返し北極から侵入し、輪の内側からの観測結果を送ってくるというのです。大量のチリや氷の中を高速で飛行するため、盾がわりに太陽電池をかざすのだそうですが、要するにもう破壊されても構わない段階に入ったということです。なにか日本のハヤブサが、真っ赤に燃えながらイトカワの石の入ったカプセルを届けた状況を思い出します。

 カッシーニの上げた成果は大変なものでした。

  • 探査機ホイヘンスプローブを土星の惑星タイタンに着陸させた。そこからタイタンに地球のような雨や川、湖、海あることが発見された。
  • 別の惑星エンケラドゥスは海の上に氷が厚く堆積した星で、その割れ目から間欠泉のように水が吹き出ていることを発見した。
  • 土星のリングが非常に活動的であることを明らかにした。
  • 2010〜2011年にかけて土星の北側で起きた大規模な嵐を調査した。
  • リングの構造を明らかにする写真の撮影に成功
  • 土星の縞が北極で六角形になっている様子を初めて完全に撮影。
  • 土星両極の巨大なハリケーンを発見

等々。

 全ての探査を終えたカッシーニは9月15日、土星本体に吸い寄せられていきそこで燃え尽きます。
 長い宇宙の旅の間に機体に着いたかもしれない微生物などを消去し、自らも危険な宇宙ゴミとならないためです。そんなところにもハヤブサとよく似た潔さ、矜持を感じます。

 

【子どもたちに伝えること】

 科学にさほど詳しいわけではありませんが、子どもに自然科学や宇宙工学の話をするのが好きでした。得意でない分、調べながら苦労して文章を綴るので、かえって分かりやすく、良い話ができることの多かった気がします。自分自身、何も分からないところから好奇心に引きずられて手探りで進むので、聞き手の歩調と合うのでしょう。

 また、ひとつのテーマに対してどんな切り口から話すのがよいのか、それを考えるのも楽しいことでした。専門家でないので科学者とは違った目で話しのできる場合だってあるのです。

 土星探査について言えば、もちろんカッシーニがこれまで果たして業績について語るのが王道です。また、今始まろうとする最終ミッションについて話すのも面白いかもしれません。

 その前に、「土星」というのが何なのか、そこから調べて話せば話題は十分に広がります。
 なぜサタンなどという不吉な名前がついているのか、あの“輪っか”は何なのか、本体や輪の美し縞模様は何なのか。
 土星の衛星たち、タイタンとかレアとかはどんな星なのか、微生物の住む可能性があるエンケラドゥスとはどんな星なのか、そんなことも話してみたい気もします。

 カッシーニ土星に到達するの7年もの歳月をかけています。時速12万キロメートル(1時間に地球3周分)というとんでもない速さで向かってもそれだけの時間がかかる、つまり太陽系はそのくらい大きいということ。その大きさを、子どもに、実感をもって感じさせる――それだけでも大仕事で、やりがいのある話になりそうです。

 その猛スピードを生み出し維持するために、カッシーニはスウィング・バイという方法を使っています。これは重力ターンとも呼ばれるもので、いわばある星に向かって飛んで行ったところその星の腕(重力)につかまれ、勢いでくるっと回ってハンマー投げのように元来た方角に投げ出される、そんなやり方で速度を上げていく方法です。
 カッシーニは金星を使って2回、地球と木星の重力を使ってそれぞれ1回、合わせて4回のスウィング・バイを行って土星まで飛んでいきました。それを例えば、カッシーニに見立てた小柄な生徒と、金星や土星に見立てた大柄な生徒を使って、演じて見させればいいのです。あまり本気でやると危険ですが、カッシーニ役の子がどんどんスピードを増す様子ははっきりとわかるでしょう。

 ただし私はここではむしろ、10年先・20年先を見越して行う科学者の仕事、それに対する情熱といったものに焦点を当てて話をつくりたい気がします。
 個人的な話ですがこのカッシーニの打ち上げられた1997年は私が大きな手術をした年です。その時、娘は7歳、息子はまだ4歳になったばかりで海のものとも山のものともつかない状態でした。
 そのあと私や私の家族にはさまざまな出来事があり、事件があり、喜びや楽しみや、わずかな苦しみやにがにがしさがあり、そして今日に至っています。娘はお母さんになり、私はお祖父ちゃんです。
 その同じ20年を、カッシーニは着々と冷徹に仕事をし続けてきたのです。しかもその冷徹の背後には、計画を計画通りに行おうとする科学者たちのたゆまぬ情熱がありました。

 1997年の時点ではアメリカの学者たちも今日の世界を想像できなかったはずです。アメリ同時多発テロアラブの春も、東日本大震災EUの危機も、そしてでドナルド・トランプという不思議な大統領の出現も、全く想像できなかった――にもかかわらずカッシーニの動き・働きは細部まで予想できてそれを果たした、その凄さを物語にしてみたいのです。