「メディアは何をしたいのか」〜高畑長男、釈放される

 金曜日、唐突なニュースがあってタレントの高畑裕太が不起訴で釈放されたということです。

 私は一市井人ですので平気で呼び捨てにしますが、テレビ局はそうもいかず、「えー、現在は“裕太容疑者”ですが手続の終わる午後2時をもって“高畑裕太さん”と呼ばせていただきます」とか言って実際にそのようにしました。

 これでマスメディアの舌鋒も相当に丸くなるはずです。容疑者でなくなったから当然と言えば当然ですが、“裕太さん”と「さん」づけで呼んでしまうと喧嘩になりません(「だから友だちを呼ぶときは“さん”をつけましょうね」と子どもたちには教えてきました)。

 これ以上やろうとすれば、かつてあった「稲垣メンバー」だの「布袋ギタリスト」だのといった奇妙な呼称を付けざるを得ず、本人が引退の意向を示さない段階での「元タレント」や「元俳優」がないとすると「高畑長男」とか「裕太愚息」とか、そのくらいしかないなあと勝手に思ったりしています――と、こんなふうに茶化すのは、事件に対するテレビの“専門家”たちの扱いが気に入らないからです。

 弁護士が、

「この種の事件では示談の条件として『守秘義務を守る』というのが必ず入っているものです。そもそも示談が成立したこと自体が秘密です」

と言っているにもかかわらず、

「ここはやはり裕太さん自身の口からはっきりと事件の経緯について話してもらいたいものですね」

とか、

「本当は何があったか、ファンとしては是非とも知りたいところなんですね。それにまた、裕太さんには話す義務があります」

とか。

 司会者から話を振られて何も答えなければ放送事故になりかねないからとりあえず何か言っておこうと――分からないでもありませんが、それにしても方向が悪すぎる。

 そもそもこの事件が示談→不起訴となる可能性にだってほとんど言及しなかったのですから、それだけでも“専門家”の不勉強は甚だしいというしかありません(弁護士の一部には確かにそう言った人もいましたし、文字媒体ではかなり発信されていました)。

 強姦致傷と言ってもケガの程度は指先一本、しかしこの“指先一本”とは非常に微妙な訴えで、検察としては「この程度だから強姦致傷にせず強姦(親告罪)のみ」とすることもできれば「この程度でもケガはケガ、強姦致傷は当然」ともできるギリギリのものです(そういう微妙な診断書を取っておくようにといった指導があったのかもしれません)。

 途方もない暴力で重傷を負ったというなら別ですが、この種の事件で最大限に守らなければならないのは被害者自身です。

 殺したいほど犯人は憎いが裁判にはとても耐えられない、そういう被害者もいるでしょう。いわゆるセカンド・レイプの事例を考えると尊重すべき感情です。

 それとは違って、裁判でどんなに辱められようとも犯人は許さない、最大限の罰を与えてもらいたい、そう考える被害者だっています。単なる強姦罪であれば懲役3年以上20年以下、強姦致傷であれば無期または5年以上の懲役です。被害者が受けた心身の傷、さらに裁判中に受けるだろう心の傷、さらに今後引きずっていくだろう心の痛み、それらを勘案するととてもではないが「懲役3年以上20年以下」では我慢ならない、被害者がそう考えたとしても何の不思議もありません。

 法律を杓子定規に当てはめれば「ケガはケガ、だから致傷」ですが、一人の無辜の被害者の人生を考えると、簡単に強姦致傷で行こうとは言えないのです。「指先一本」にはおそらくそういう意味があります。

 今回の高畑長男の事件についていえば、裁判となれば世間の注目度はその辺のチンピラの事件とは全く異なります。裁判のたびに報道合戦が繰り広げられ、(今だってそうですが)世間が知らなくてよいことまで全部出て行ってしまいます。繰り返し繰り返し、繰り返し繰り返し――。

 私たち情報を受け取る側の大半は被害者を知りませんか、好奇心を満たして終わりですが、被害者の周辺ではそういうわけにはいかないでしょう。情報のいちいちが、具体的な“彼女”と結び付けられ、体に張り付いていくのです。それは普通の人間に耐えられるものではありません。

 私の家族が被害者だったとして、犯人が無名の市井人だったら「戦え」と言うかもしれませんが、高畑長男クラスの超有名人だったら引き下がります。もうそれ以上被害を負った家族をマスコミにもてあそばれたくないからです。

 マスメディアでは「そうとう高額の慰謝料が支払われるのだろう」といっや内容も匂わされています。

「被害者が一番大事」と言いながら被害者をじわじわと追いつめていくマスメディア。ほんとうに業の深い世界です。