「キレる」~怒りに、瞬間的に我を忘れる人たち

 一昨日のニュースに「大分子供4人焼死  父親、起訴内容を大筋で認める 初公判」というのがありました。
 それによると、
 昨年7月に大分県杵築(きつき)市の民家が全焼し、子供4人が焼死した火災で、重過失失火と重過失致死傷の両罪に問われた父親で海上自衛隊1尉(起訴休職中)の末棟(すえむね)憲一郎被告(41)=広島県江田島市=は26日、大分地裁(今泉裕登=ひろと=裁判長)の初公判で起訴内容を大筋で認めた。

ということですが、妻が見送りに出なかったことに腹を立て、家に火をつけて子供4人を焼死させたというこの事件、非常に心痛み、そして記憶に残るものです。

 しかし今回の裁判についていうと、私は、
 起訴内容について「『立腹』ではなく不安やおびえと表現した方が合っている」と主張した。その後、声を震わせ「灯油をまいてライターに点火したことは覚えていない。自分でやったとも、やっていないとも覚えていない」と述べた。
という部分に心惹かれます。
 4人の実子を死なせてしまった被告は、事件と真摯に向かい合おうとしています。その被告がこだわるふたつの部分は、事件を考える上でとても重要な意味を持つかもしれないからです。

 私は2年ほど前、このブログで児童自立支援施設に付属する中学校(分校)の先生に関する話を書きました。

kite-cafe.hatenablog.com 分校では担任教師と生徒が「落ち着いて勉強を続ける」とか「静かな生活をする」といった目標を立て、日々コツコツと小石を積み上げるように努力を重ねている。しかしその膨大な積み重ねを、衝動の強い子どもたちは一瞬にして破壊してしまうことができる。
 些細な怒りのため友だちに尋常ではない暴力をふるったり、ありとあらゆる物を破壊したり――その次の瞬間の子どもの落ち込みは見ていられないほどのものだが、ともに努力してきた担任教師の落ち込みもまた大きいく深い。その教師たちのモチベーションを支えていくのは容易ではない、といった話でした。

 大分の事件の被告は8人の子持ちでした。子ども好きでなければ持てるはずのない人数です。
 事件当時の新聞記事に、
 一家は近所の畑を借り受け、トウモロコシなどを栽培していた。土日は一家そろって畑仕事をする姿がよく見られた。
とあるように、子煩悩な愛情深い人です。それがいかに腹を立てたは言え、家に火を放って焼き殺すなど、普通の論理では説明できないことです。

「『立腹』ではなく不安やおびえ」
「灯油をまいてライターに点火したことは覚えていない。自分でやったとも、やっていないとも覚えていない」
 この理解しがたいふたつの言葉は、けれど4人もの実子を焼き殺してしまった子煩悩な男の述懐だと思うと、むしろ納得ができます。
 「立腹」は自分の内から起こるものであり、「不安やおびえ」は外からやってくるものに対する内部の反応です。「外からやってくるもの」が存在する以上、自分ではどうにもコントロールできなかったかれはそういっているのかもしれません。
 そして事件は「自分でやったとも、やっていないとも覚えていない」状況で起こされたのです。

 今日も私の職場では「〇〇ちゃんがいきなり殴った」「何もしないのに擦れ違いざまに蹴った」といった話が目白押しです。その中には明らかに「不安とおびえ」のために無自覚に振るわれる暴力があります。それもかなり多くあります
 あの子たちを何とかしなければ、やがて彼らはヤクザな道に入るかそのまま刑務所か、あるいはまっとうな人生を歩みながらある日突然4人の子どもを殺す殺人者になってしまうのかもしれません。
 できることは多くないのです。しかしそれでも丁寧に見ていきたいと思いました。