カイト・カフェ

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「心の理論の獲得」〜子どもたちの危機④

 動物に心はあるのかという問題については、かなり昔から話し合われた形跡があります。デカルトなどはそうとう熱心にこれに取り組んだようです。
 20世紀になっても数々の論争が繰り広げらましたが、そもそも「心があるかどうか」より前に「心とは何か」という問題に決着がつかなければ始まりません。それについて、前世紀の末に一人の哲学者が素晴らしいアイデアを提示します。
「私は、サルが罠を仕掛けて仲間を陥れるのを見たら、サルに心のあることを認めよう」
(私はそれを言ったのが誰で、どこに書いてあったのか、それがどうしても思い出せずに長年苦しんでいるのですが)。

 つまり「他者には自分とは別の、まったく異なる内的状況・目的・意図・知識・信念・志向・疑念・推測といったものがあり、それを推し量ることができる機能が心である」ということです。これを「心の理論」と言います。

「心の理論(Theory of Mind)」は、もともと霊長類研究者のデイヴィッド・プレマックとガイ・ウッドルフが論文「チンパンジーは心の理論を持つか?」において提唱したもので、発表された1987年の段階では「どうやら霊長類にも他者の内部を推し量る力がありそうだ」という意味でつかわれました。
(ただしその後プレマック自身によって疑念がさしはさまれたように、人間以外の霊長類が「心の理論」を持つかどうかという問題は今日も結論が出ていません。また「心の『理論』」という言葉は誤解されやすい面があって、最近では一部で「心の理解」といった言い方をする人もいます)

 チンパンジーなど類人猿についての「心の理論(=心の理解)」が研究されつ一方で、「人間はいつごろから『心の理論』を持つようになるのか」という課題も同じように情熱をもって追究されるようになります。これについてはいくつかの簡単な課題が作られ、中でも「サリー・アン課題」は特に有名です。
(被験者が7歳以下の子どもである場合が多いので、実験は普通、人形や紙芝居を使って行います。必要な物品は2体の人形と箱型の籠、普通の箱、それにお菓子です)

  1. サリーちゃんとアンちゃんが部屋で一緒に遊んでいます。
  2. そのうち、サリーちゃんはお菓子を籠に入れて外に遊びに出ます。
  3. その間にアンちゃんは籠からお菓子を出して箱の中に移し替えます。
  4. サリーちゃんが戻ってきました。サリーちゃんはお菓子を食べようと思いますが、さて、どちらの箱を先に開けるかな?

  もちろん答えは「籠」です。しかし3歳児の大部分は「箱」と答えます。「お菓子」は今「箱」の中に入っていると知っているからです。

 この「サリー・アン課題」を覚えたとき、息子はちょうど4歳の直前くらいで私はほとんど一週おきにこの課題を行っていました。3歳児は素晴らしいことに1週間もするとやったことを忘れてしまうのです。仮に覚えていたとしても「お父さんが繰り返し聞く以上、ここには何かの策略があるのかもしれない、だからここは『籠』と答えてみよう」などといったことは絶対にありません(もし考えるとしたらそれこそ『心の理論』の存在を証明したことになります)。そこで何回でも挑戦できたのです。

 4歳の誕生日を過ぎて半年ほどたった時です。いつもと同じように「サリーちゃんとアンちゃん」の物語を話し、息子もいつものように「箱」と答えてその場を離れかけ、それから一瞬立ち止まって不意に叫びます。
「あ、違う、『籠』だ!」
 初めて「心の理論」の存在を証明した瞬間です。私も心の中で快哉を叫びました。
「サリー・アン課題」はいつか必ずクリヤできるものですから、できたことがうれしかったわけではありません。その瞬間に立ち会えたことがうれしかったのです。

「サリー・アン」のように「心の理論」の有無を調べる課題については、「3〜4歳児はそのほとんどが正しく答えられないが、4〜7歳にかけて正解率が上昇する」というデータが得られているそうです。それはちょうど幼稚園や保育園の年少組(4歳になる子のクラス)から小学校1年生(7歳になる学年)に重なるときです。

 同じ年齢なのに「他者には他者の考えや思いがある」(心の理論)が理解できている子と、まったく理解できない子が同時に存在するのです。しかも獲得の早い子は小学校入学までにかなり訓練を積んでくることになります。
 1年生の多彩さと複雑さを説明するのに、非常に都合のいい概念なのかもしれません。

 (この稿、続く)