カイト・カフェ

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「イヤイヤ期の克服」〜子どもたちの危機③

 3歳以下の乳幼児はそれなりの個性はあるもの、特別な例を除くとだいたい大枠の中にいる、それにも関わらず小学校1年生(その年に7歳になる子たち)は多彩で複雑である、その間わずか3年。その3年間に何があるのだろう、それが先週までのお話でした。

 私は児童館で小学生以上の子供と触れ合い、併設の子育て支援センターで未就園児との交流もあります。3歳までの子と7歳以上の子についてはかなり知っています。逆に言えば、ちょうどいま問題にしようとしている4歳以上7歳未満の子との触れ合いがないのです。ですからその3年間のことは想像するしかないのですが、恐らくここで何か劇的なことが起っています。
 この時期の何かを契機として、0歳から3歳までの、そして進行形の子育ての成果があふれ出し1年生のあのような姿として出現するのではないかと思うのです。
 考えられる可能性のひとつは“第一次反抗期の克服”、もうひとつは“心の理論の獲得”です。

 ただし「反抗期」についてはここのところいろいろな見直しがなされているようで、「そもそも反抗期というものが存在するのだろか」といった本質的な問いもあり(私もそういう立場です)、あれだけなんでも書いてあるWikipediaですら項目立てされていません。
 また事象はあるが「反抗」という言葉が適さないと考える人たちはまさにその状態から「イヤイヤ期」名づけ、最近でのママたちの間ではそう呼ぶのが一般的なようです。たしかに「反抗期」よりはいいでしょう。

 私が再三引用する高垣忠一郎氏はこの時期の子どもについて次のように言っています。
 三歳児は他のだれにやってもらうのでもない。まさに「自分でする」ことになによりもこだわる。それが周囲の大人の「いけません」と衝突するとき、「強情」「片意地」「反抗癖」など、いわゆる「反抗現象」が生じる。(中略)
(したがって彼らは)がむしゃらに自我を主張し、反抗するのではなく、自らの要求や意志と外的な要請との矛盾を調整することを学ばなければならない。

 彼らはそれを「早く乗りたいけれども順番だから待つ」「淋しいけれども、お兄ちゃんだからお留守番をする」という「~ダケレドモ~スル」という自制心(自律心)の獲得によって実現してゆく。ほぼ4歳前後のことである(「登校拒否・不登校を巡って」(青木書店 1991))
 田中昌人という人の表現を借りれば、
「『ケレドモ』でふみこたえ、『ケレドモ』をテコに起き上がる誇り高き4歳児」
の誕生です。

 これは魅力的な観点です。たしかに4歳の時点で自己制御の力をつけた子どもとそうでない子では就学時の様子は全く異なってくるでしょう。ただし世の中には「イヤイヤ期」がなかった子もいれば相当に軽くて気にならなかったという子もいます。それもかなりいます。
 私の娘シーナもありませんでしたが、だからといって「イヤイヤ期」のきつかった弟のアキュラに比べて自己コントロールの力が弱いとか忍耐強くないといったことはありません。むしろ逆です。

「イヤイヤ期」で大変なお母さんに対して、どういう方向に目標を設定すればいいのかを知らせるという点において「『ケレドモ』でふみこたえ、『ケレドモ』をテコに起き上がる誇り高き4歳児」は素晴らしいものです。
 しかし6歳児の多彩さ複雑さを説明するにはそれだけでは不十分な気もします。

(この稿、続く)