カイト・カフェ

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「怒れる菩薩・怒れるアン」~今日はアン・サリバンの誕生日  

 ヘレン・ケラーの家庭教師アン・サリバンの、今日が誕生日。
 三重苦の少女を世界的な偉人に育て上げた女性は、
 同時に冷酷なほどの厳しさで愛を伝えた教師でもあった。
 この奇跡の人をどう評価するのか。
 という話。


ヘレン・ケラーを知っていますか?】

 今日、4月14日はアン・サリバンの誕生日です(1866年)。アン・サリバンと言ってもピンとこない人はいるかもしれませんが、あのヘレン・ケラーの家庭教師です。
 え? そのヘレン・ケラーが分からないって?
 確かにそういう時代ですよね。ではアンの前にヘレンを紹介します。

 Wikipediaに沿って言いますと、ヘレン・ケラー(1880~1968)は、アメリカ合衆国の作家、障害者権利の擁護者、政治活動家、講演家。アラバマ州に生まれ、生後19か月のときに病気が原因で視力と聴力を失いました。盲目で耳が聞こえず、したがって言葉も覚えず発話もできませんでしたから、一般には三重苦のひととされています。
 7歳になるまでは家族と、自然に生まれた身振り手振り(ホームサイン)でかろうじて意思疎通を図っていましたが、その後、家庭教師のアン・サリバンと出会い、彼女の教育のもと、言葉や読み書きを覚え、盲学校と聾学校、そして普通学校で教育を受けたのち、ハーバード大学ラドクリフ・カレッジに通い、学士号を得た初めての盲聾者となりました。
 
 卒業後はアメリカ盲人財団に勤めながら、合衆国各地および世界35か国を旅行して視覚障害者の支援に尽力しました。婦人参政権運動、産児制限運動、公民権運動など多くの政治的・人道的な抗議運動にも参加し、その都度マスコミに大きく取り上げられて政治力を発揮しました。
 日本にも1937年、1948年、1955年と3度も訪れており、そのたびに大きなブームを起こしました。
 
 1999年、アメリカの有名雑誌LIFEが「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」*1を発表しましたが、その中のひとりにヘレン・ケラーも選ばれています。

服従こそが、知識や愛が、子どもの心に入っていくための門戸】

 ヘレン・ケラーの偉大な活動は、アン・サリバンの存在なしには始まらないものでした。何しろアンに出会うまでのヘレンは酷い癇癪持ちで、気に入らないことがあると床を転げ回って泣きわめき、物を片っ端から投げつけるというありさまで家族を翻弄し続けてきたからです。家族は平和のためならすぐにも降参してしまい、決して戦おうとはしないのです。もちろんそうなることは、よく理解できることでもあります。

 しかしアンにはそれが限りなく邪魔でした。そこでケラー夫妻に頼み込んで、庭園内の東屋で二人きりで過ごすことにします。アンはその決意の背景をこんなふうに書いています。
「彼女の過去の経験や連想は、すべて私と対立しました。彼女が私に服従することを学ぶまでは、言語やその他のことを教えようとしても無駄なことが、私にははっきりわかりました。私はそのことについていろいろなことを考えましたが、考えれば考えるほど、服従こそが、知識ばかりか、愛さえもがこの子の心に入っていく門戸であると確信するようになりました」サリバン著「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」
 
 案の定、ヘレンは両親から遠ざけられたことに怒り狂い、食事はスプーンを投げ捨てて手づかみで食べようとし、あるいはアンと同じベッドに寝ることを激しく拒んで、そのたびにつかみ合いの大喧嘩となります。アンは避けたいと思っても、繰り返し力で押さえつけなくてはなりませんでした。
 そして2週間の後、ようやくアンはヘレンの教育のとば口に立つことができたのです。驚くべきことに、このときアン・サリバンはわずか二十歳だったのです

【怒れる菩薩、怒れるアン】

 奈良の東大寺三月堂の本尊は「不空羂索観音」です「不空」とは「空しくない」ということ、「羂索」は動物を捕える縄のことです。密教系の菩薩で、六観音または七観音のひとつに数えられ、「心念不空の索をもってあらゆる衆生をもれなく救済する」、つまり救いを望まぬ者までしっかりつかんで浄土へと導こうとする存在です。私はこの菩薩にアン・サリバンと同じものを感じます。
 
 それは、子どもによっては――あるいは時期的には、さらには場合によっては――、その子の成長を待っていられない、待っていると悪いものに絡めとられてしまう、二度と自分の下に置けない、育てることができない、正しい道を歩ませることができない、そういうことがあるという確信です。
 子どもを育てるのに、躊躇うことのひとつもない、そういった激しさ、強さ――。
 
 しかし今の時代、不空羂索観音はもちろん、アン・サリバンの生きる場もありません。子どもの意思に沿わない指導は虐待です。120年前のケラー家の当主(ヘレンの父親)ですら新しい家庭教師を即刻クビにすることを考えたのですから、現代にあってそれが当たり前です。
 ただしそうなると現代のヘレン・ケラーは、三十歳を過ぎても手づかみで食事をし、床を転げ回って叫び、暴れまくらなくてはならないのかもしれません。
 
 たった一人のヘレン・ケラーを生み出すために、体罰や虐待がはびこることがあってはなりません。しかし一人の子どもにも嫌な思いをさせないことを優先して、育てるべきことが育てられないとしたら、それも大きすぎる問題です。