カイト・カフェ

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「全国学力テストの行方」①

 全国学力学習状況調査の成績が発表され、今年も秋田県福井県が上位を占めたようです。しかし今回特に注目されたのはかつての弱小県、沖縄と静岡の躍進です。特に静岡は知事が学校別の成績を公表するといって注目されましたが、成績が伸びたことで「やればできる(叩けば成果が出る)」ことを証明したかたちになります。来年以降も、下位に甘んじた都道府県では学力向上の嵐が猛威を振るい、「やればできる(叩けば伸びる)」ことを証明するのに躍起になるでしょう。
 しかしところで、「全国学力学習状況調査」の成績が高いと、何かいいことがあるのでしょうか? 具体的に言って、秋田県福井県はどんな恩恵を受け、静岡や沖縄はそんな不幸を背負わされてきたのでしょう。私には分かりません。

 先生が頑張ったおかげでウチの子どもの成績が上がれば、よりよい高校に行けるかもしれない――そう思うのは間違いです。みんなの成績が上がれば“ウチの子”の成績が上がっても順位は変わりませんから、行ける学校は同じです。“ウチの子”だけが得をするためには、“ウチの子”だけが頑張る必要があります。みんなが頑張ってはダメなのです。それどころかみんなが頑張れば“頭のいい子”だけが得をしてしまうのです。
 なぜなら優秀な頭脳を持ちながら怠けてくれる子がいるから努力家の出番はあるのであって、みんなが努力家になったら努力家は目立たないのです。代わって成績の上位は、生まれながら頭の良い子が占有してしまいます。
 そして困ったことに、努力家は育てられても頭の良い子は育てられません。知能の高い子は、遺伝的に生まれてくる家がほぼ決まっています。
 では賢くない子の問題ではなく、賢い子のための学力向上だと、そんなふうにも考えてみましょう。

 都道府県民師弟の学力平均が上がると、それに連動してエリート層の成績も上昇し、日本をけん引する人材が誕生する、そうした仮説が可能です。しかし実際にそうだとして、秋田や福井から東大生が続々と出現したらそれで地方自治体は潤うのでしょうか? そんな田舎に、東大卒の職場が十分にあるとは思えません。みんな都会に出て、帰ってこないのがオチです。

 それは知事や都道府県教委委員長の鼻は高いでしょう。とにかく全国トップですから。しかしそれが何ほどのことか――そう私は思います。

 すこし冗談が過ぎました。しかしこの「全国学力学習状況調査」の狂乱には、本質的な思い違いがあるのは間違いないのです。
 ある日気づくと、「なんとバカなことに血道をあげていたのか」と思うようなとんでもない思い違いです。