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「止められない人たち」~児童自立支援施設の子どもたちと近所のヤクザのオッちゃんから考える

 〇〇小中学校△△分校というのは▢▢学園(児童自立支援施設)の中におかれた学校組織です。そこの教頭先生と話したことがありますが、一番の課題は先生たちのモチベーションをどう支えるか、ということだと言っていました。

 △△分校では児童生徒と教師が一緒になって目標を立て、丁寧に活動を積み上げていきます。具体的な目標はそれぞれですが、大枠としては「落ち着いて勉強を続ける」とか「静かな生活をする」といったことがらです。しかし衝動性の高い子たちはしばしば一瞬にしてそれを叩き壊してしまいます。数か月、積み木の塔を立てるように息を詰めて頑張ってきた成果を、つまらない怒りのために台無しにしてしまうのです。
 そうした瞬間の子どもたちの落ち込みは、尋常ではないといいます。彼らもそれなりにがんばってきたからです。そんなふうに何度も何度も挑戦し、失敗し、やがて子どもたちは無力感に苛まれていきます。気持ちを挫かれるのは教師も同じで、意欲を削り取られていく点も子どもと一緒です。教頭先生はそれを必死に支えようとするのですが、それがなかなか難しいのだそうです。

 私の自宅の近所にヤクザのおっちゃんがいます。“元”なのか“現”なのかは分かりません。十数年前、売りに出ていた家を買い取ってどこからか引っ越してきたのですが、来るなり外装を重苦しいものに変え、「〇〇興業」という金看板を貼り付けました。それがヤクザさんの意匠だと、パトロールに来た警察の人が教えてくれました。
 強面の大柄なオヤジですが気立てはよく、幼かった息子もずいぶん可愛がってもらいました。ご近所の飲み会でも気さくな様子で言葉を交わし、頭も良く弁も立つので私もずいぶん勉強させてもらったり笑わせてもらったりしました。ところが数年後、知り合いとトラブルになって自宅で日本刀を振り回し、近所を追い掛け回したあげく重傷を負わせてそのまま警察に捕まってしまったのです。
 数年、“別荘”に入ってやがて戻ってきたおっちゃんと、積極的につき合おうとする人はいません。おかげで近所の飲み会も絶えてしまいました。面白くてつきあいのいいおっちゃんは近所の人間関係を失ってしまったのです。

 私はヤクザさんの世界にはこういうタイプの人が相当数いるのではないかと疑っています。刑務所の粗暴犯の中にも、そういう人がたくさんいるはずです。堪え性のないキレ易い人たちです。
 慣れないと恐ろしい人たちですが懐に入ると案外いいヤツで、しばしば面倒見もいい。順調な人間関係も築ける、まじめで前向きな生活もできる、しかしある瞬間、どうでもいい些細なことをきっかけに、それらを全部投げ捨ててしまう。本当は気の毒な人たちですが、行動や顛末を考えると同情しきるのも難しい人たちです。

 教師の体罰はなぜなくならないのだろう。
 これだけ厳しく指導され、繰り返し研修をし、厳罰化も進んで多くの事例が示されているというのに、一部の教師は他人のお子さんのために怒鳴り、暴力を振るい、自分の持つもののすべてを投げ捨ててしまう・・もう今の段階までくると、人権意識だの自覚だのといったものとは無関係な原因を考えなくてはならないような気がします。それは▢▢学園の子どもやご近所のおっちゃんと同じ質のものです。本人にもどうしようもないもので、気がつくと事件は起こっています。

 私はもう一度ADHDとその対応について整理しなおそうと思っています。