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「叱る」~子どもの誉め方・叱り方③

大勢の前で一人を叱る

 大勢の前で一人を叱ってはいけません。どんな子どもにもプライドはあります。大勢の前で叱られた子は素直に反省などしません。下を向いてひそかに復讐の炎を燃やしているだけ です。大勢の前で叱られてよくなった子は一人もいません。

 ただし、それにもかかわらず昔の教師は平気で一人を吊し上げました。このやり方に別のメリットを感じていたからです。それは「叱られている本人『以外の児童生徒』に効果がある」ということです。一人が怒鳴られている最中に周りの子たちが考えていることはただ一つです。
(ああは、絶対なりたくない・・・)
 これが全体の規律を正します。この方法を“血祭りにあげる”と言いました。

“血祭り”の対象になるのは、誰でもいいという訳にはいきません。簡単に傷つく子、反抗心がどこへ飛んで行ってしまうかわからない子、そういった子どもは巧みに避けられます。タフな子、懲りない子、ひねくれない子、その上で「だれが見ても叱られて当然な子」がベストです。私はたぶんそういう子でした。

 現在では人権的な見地から、好ましくないものと考えられています(それは当然でしょう)。本人が納得している場合でも別の生徒がそれを見て、人権問題として親に訴えるケースもあります。学校の瑕疵や不備を親に教えるのが何よりの親孝行という家だってあるのです(その親が警察やマスコミに訴えます)。

 しかし一方、“叱る”には「そのとき、その場で、瞬時に」という原則もあるので厄介です。大勢の前で叱らなければならない場合もあるのです。危険回避など、誰が考えてもその場で叱るのが適切といった内容について、瞬間的に怒ったり叱ったりできるようにならなければなりません。そこが教師としての修行のしどころです。

②呼んで個人的に叱る

“怒る”のではなく“叱る”に重点を置こうとすれば、これが最良のやり方と言えます。しかし個人的に呼び出したりするとどうしても話がしつこくなります。
 相手がウンザリするようでは説諭の効果も半減です。会話の技術を磨かなければなりませんし、特に話の落としどころをしっかりと据えておかないと全体がだらしなくなります。もちろん「ウンザリしてもいつまでも話を聞いていなければならない罰」を与えているということであれば話は別ですが。

 いずれにしても叱ったり怒ったりするのは誉めるより何倍も難しい行為です。

③陰で叱る

 本人ではなく、その子の友だちや同級生に対して「アイツはダメだ」みたいな話をしてはいけません。まさに「悪行千里を走る」で、話はあっという間に本人に伝わります。しかも人間には「真実は陰で語られる」という思い込みがありますから、取り返しがつきません。

 教師は児童生徒の友だちでも仲間でもありません。“友だち”や“仲間”というのは、「たとえわずかでも一緒に悪事を働く可能性を含んだ関係」です。しかし教師と児童生徒の間に悪事を共有する可能性はゼロです。どんなに良い関係であっても、その意味で子どもを信用してはなりません。陰で悪口を言うのはどんな場合にも避けるべきことです。