カイト・カフェ

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「叱ってはいけないと思いながら叱らずにはいられない」~学級というルツボの扱い方①

 新年度が始まって3カ月。
 新任の教師たちもある程度慣れてきて、その異常な働き方が一過性ではなく、
 延々と続く苦難の道かもしれないと思い始めている。
 とりあえず目の前の子どもをきちんとさせられない、授業が始められない、

という話。

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(写真:フォトAC)
 
 

【若き教師たちの嘆きと自己嫌悪】

 最近、ツイッター上で新人の先生たちのツイートを読むことが多くなっています。長くこの世界にいる人たちと違って、学校のどこが変で、何に悲鳴を上げたらいいのか、この人たちの言葉を聞いているととても良く分かるのです。
 もちろん、“おい、おい、それは違うよ”と言いたくなる部分も少なくないのですが、すでに引退した年寄りですので、己の分をわきまえてできるだけ出しゃばらないよう、読むだけにしています。
 しかしみんな苦しくしんどそうです。

  • この時期、学級が何かざわざわするのはどこもなんですかね?いや私が無能なだけか。あー行きたくないなあ。
  • 授業は遅れてます!成績関係もまだ何もしてません!年間指導計画もよく見てませんでした!すみませんでした!
  • 子どもが学校来てからさようならまで余裕がある時間なんて1分たりともないのに、「授業の合間とか使ってクラス全員、一人一人教育相談してね。」とか、できるわけないが??

 何を言っても通り一遍になりそうで一言もありません。そう思いながら呼んでいったら、次のような文に出会いました

 発達障害の子を叱りすぎてしまった
 授業中タブレットで友達を撮影していたので取り上げてしまった
 それに拗ねて掃除をサボったのでさらに叱ってしまった。

 何度言っても理解できない
 周りの事が考えられない
 そういう子なんだって分かってるのに
 なんとかしようと叱りすぎてしまった


 とてもよくわかる話です。
 発達障害があろうとなかろうと、いや、あればこそ、少しでも周囲と調和できるよい子に育って欲しい、ひとから嫌われたりいじめられたりしない程度に、周囲のことを考え、常識を身につけて成長してほしい、そう考えると居ても立ってもいられないのです。このまま社会に出してはあまりにも忍びない。
 そうした気持ちにウソはないのですが、よくよく考えるとそれとは別の、大人の事情というか、教師の事情がないわけでもありません。
 
 

【エコヒイキと誤解されてはいけない】

 そのひとつは、その子の不正あるいは我儘と見える言動を放置すると、他の子どもたちから“エコヒイイキ”と見られかねないという問題です。
 学校で児童生徒と教師がほぼ完全に一致できる最大の価値は「公平・平等」です。小学生くらいだと“自分がエコヒイキされるのはかまわないが他の子が大事にするのは許せない”といった感じ、中学生だと自分も例外にしません。
「先生、オレ浮いちゃうから、そういうことやめてくれない?」

 どんな学校でも一番嫌われ蔑まれるのが「エコヒイキをする先生」で、教室内でそう感じる子が多数派になってしまうと、指導は何もできなくなってしまいます。いじめでさえ教師のエコヒイキ問題にすり替えられてしまいます。ですからなかなか言うことをきいてくれない子どもをどう扱うかは、担任にとって大問題なのです。

 先のツイッターの内容の場合、当該の児童は発達障害ですからどうやったって簡単にうまく行きません。保護者から障害を明らかにしていいという許可があれば、ある程度簡単です。
発達障害なのでみんなと同じことができない」は、「アレルギーがあるから牛乳が飲めない」「喘息があるのでマラソン練習に参加できない」と同じように、子どもの了解を得るのは簡単です。しかし病名や障害名が出せないとなると、状況はとたんに難しくなります。
 
 

【それがクラスの基準になる】

 みんなに合わせることのできない子どもを放置できないもうひとつの理由は、その子の言動がクラスの基準になる恐れがあるからです。少なくともそんな気がする。

 授業中に立ち歩いて他の子のノートを覗き歩く子を放置してしまうと、授業中に勝手に鉛筆を削りに行ったりゴミ捨てに行ったりする子を止められなくなります。前者は理由もなくたち歩くのに、後者にはそれなりの理由があるのです。
 用事もないのに立ち歩く子を放置して、用事のある子を叱ることはできません。仕方がないのでその子たちも放置すると、授業中に立ち歩くことはこのクラスに許可された特権となってしまいます。 ならないかもしれませんが、なった場合に元に戻すことはとんでもなく大変で、試してみる気になれません。

 そこで、実際にその子をコントロールできないことは分かっていても、一応、放置する意思のないことを示すためだけに、大声で叱っておく必要が生れます。
「先生も困っているんだよ、あの子には。いくら言ってもだめだからこんなふうになっているだけで、決して許しているわけじゃないんだからね」
と、口にはしませんが態度で示すわけです。

 ただそのことが当該の子を悪者あつかいにし、孤立させ、やがてはいじめの対象にまでしてしまうかもしれないということ――教師はわかっているのですがどうにもうまく行きません。そして自己嫌悪に陥ったりする。
 これをどう取り扱ったらいいのでしょう?

(この稿、続く)