カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「マスク」~インフルエンザに全く効果がないという人もいるけれど――

 そう言えば昨年の今頃は新型インフルエンザで日本中が戦々恐々としていて、来るべき疫災に向けて身構えている時期でした。

 私の前任校は早くも9月の初めには患者第一号が出て10月には猛威に襲われ、学級閉鎖・学年閉鎖と授業のやりくりに翻弄された毎日でした。なにしろ市内で最初の感染校でしたので、何もかも杓子定規に行うしかなく、あまりにも簡単に学級閉鎖にして同じクラスが2度3度と学級閉鎖になるという無駄な経験もさせられました。

 我が家でも息子が定期テストの前夜に発症。病院帰りに、熱に浮かされてかテストを受けずに済むためか、妙に舞い上がって多弁になった息子を何か割り切れない気持ちで眺めたことを思い出します(ただし治った後、息子は毎日放課後に残され、2週間に渡って1教科ずつテストを受ける苦しみを味わうことになりました)。

 さて、世界中に猛威をふるったブタ由来インフルエンザですが、日本における重症例・死亡例が極めて少なかったことは後になって明らかにされました。理由として挙げられたのは、第一に発症から医師にかかるまでの極端な時間の短さです。ほとんどの患者が発熱と同時に医師のもとを訪れたのです。

 もちろんそこには24時間対応できる十分な医療体制とインフルエンザ程度の医療費が生活を圧迫しない豊かさ、そして日本人の高い衛生意識があったことは間違いありません。知・徳・体と言いながら健康教育を熱心にしてきた日本の教育の成果という面もあるでしょう。
 しかしその衛生意識の高さが、深刻な紙マスクの不足というかたちで表れたのは、一部の人たちには“行き過ぎ”と映ったのでしょう、そこからマスク不要論が横行しテレビでも「日本人の愚かさ」みたいな形で繰り返し言われました。

 不織布マスクの気孔はウィルスのサイズより大きくウィルスは簡単に通過してしまうから無意味だというのです。もちろんそれは正しい科学的知見です。しかしウィルスは単体で空中にあるわけではありませんし、一個でも身体に入れば発症するというものでもありません。それは咳をした人の口から飛び出した唾液とともにこちらに届きます。そして唾液は不織布マスクが確実に捉えるのです。その効果は低く見積もっても30%と言われています。

 一方手洗いうがいによる対ウィルス効果は50%と見積もられています。手洗いだけだと50%、マスクを併用するとその効果は65%ということになりますが、手洗いだけの50%と併用した場合の65%の間には大きな差があると私は思います。それも決定的といえるほどの差です。しかしそうした計算上の効用だけでなく、インフルエンザにかかっていない人までマスクをすることにはもっと大きな意味があります。

 マスク不要論者の最期の論は「マスクは健康な人がやっても意味はないが、インフルエンザ患者がウィルスを撒き散らさないことには効果がある。したがってかかった人だけがすればいい」というものです。しかしその上で「かかった人だけ」にマスクをさせる方法は明らかにしません。これ、相当難しいことではありませんか?

 だってそういった社会が実現すると(たとえばアメリカがそうですが)、マスクをしているのは全員「インフルエンザにかかっているにも関わらず外を出歩く不埒な人」ということが明らかになってしまいます。誰が好き好んでそんな看板を背負いますか。

 また家を出てから「あれ、咳が出るな、風邪かな」と感じるような初期のインフルエンザ患者は、とりあえず手元にマスクがありません。忙しい通勤時刻にそれでもマスクを探して購入し装着してくれるなんて、そこまですべての日本人が他人のことを考えて生きているわけではないのです。

 感染者および感染の疑いのある人全員にマスクをさせる方法はひとつしかありません。それは健康な人も含め、すべての人がマスクをしたがる今の日本を守ることです。

 評論家は日本人をバカにしていれば飯の食える人たちです。だからそこまで気が回らないのです。