カイト・カフェ

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「子どもの進路に親は口を出そう」~イチローの父も、横峯さくらの親も、石川遼の父もみんなやったことだ

 家族で外食するのにいつも似たようなものしか注文しないので、子どもからは「臆病者」などと言われてからかわれています。しかし別に冒険を恐れているのではなく、他のものを注文すると一番食べたいものが食べられないのが、なんとも惜しいのです。その意味では臆病者でも選択音痴でもなく、単なる「未練がましい男」です。

 こんな性格ですから、外食ばかりでなく洋服選びも靴選びも苦手で、レンタルビデオも容易に借りられません。

 さらに振り返ると、この「未練がましい」性格は進路選択のとき決定的に災いし、自分を身動きできないものにしてしまいました。自分は何かの天才(ただしそれが何かは分からない)だと思っていましたので、他の可能性を棄てきることができなかったのです。

 さて、児童や生徒の進路の問題になったとき、保護者の中には「まさか親が進路を決めるわけにも行きませんし」とか「結局は子どもが決めることですから」とか、あるいは「子どもの進路に親が口を挟んではいけないと思っていますから」とかおっしゃる親御さんがいます。しかしたいていの子どもは強い意志をもって「これだ」と決めているわけではありませんから、親はいくらでも思うことを言ってかまわないと私は思うのです。せっかく親になってここまで育ててきたのですから、その子にどうなって欲しいか、積極的に言うくらいの権利はあるはずです。

「お前の好きなようにすればいい」というのは、一見理解があるように見えて実は放り出しているのと同じです(「お前の好きなようにすればいい。だけど選んだ責任は全部お前が取るんだよ。お母さんは知らないから・・・」)。

 そうではなく、子どもの将来を狭めてやってうまく行かなければ怨まれてやるくらいの甲斐性はあってもいいはずです。それに子どもの最もいいところは親の思い通りにならないことであって、どんなに将来を狭めてもその通りになんかなりっこありません。それでも親の言う通りになるようなら、その程度の大したことのない子ですから、親の言うとおりにしていたほうが幸せです。

 親が子の進路を決めてはいけないとしたら、イチローの父も横峯さくらの親も、石川遼の親もみんなサイテーということになってしまいます。