邪馬台国の話

 奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で大型の建物跡が発見され、新井白石(近畿説)・本居宣長(九州説)以来の邪馬台国論争に終止符が打たれるかもしれないと言われています。

もしかしたら21世紀(始まったばかりですが)の日本史上最大の発見になるかもしれません。

 

 私が子どものころはまだ『まぼろしの邪馬台国』(宮崎康平という人の著書で、それまで学者の間でしか語られなかった「邪馬台国はどこにあったか」という、いわゆる邪馬台国論争が一般人にまで降りてきた)の影響が残っていて、子どもの間でさえ小さな論争が行われていたりしました。しかし今は学校で教えない限り、自然に耳に入ることはありません。リアルタイムで動いていることですから、高学年の子どもには授業であつかっていい内容かと思います。

 さて、私は邪馬台国の漢字が覚えられず「じゃまたいこく」と読み替えて覚えるようにしていました。しかし子どもごころにも「邪」とか「馬」とかいった漢字を自国に当てるのは変な気がしていました。卑弥呼も、考えて見れば「卑しい」という文字を含んでいます。

 後になってこれらの漢字を使ったのは中国人であって、私達日本人ではなかったことをあらためて知りました。当時の中国は世界の「中」心で「華」と咲く国でしたから、周辺の小国はみな見下してそのような漢字で表記したのです。

 そう言えば邪馬台国の記述の見られる「魏志倭人伝」も正式には、「『三国志』魏書東夷伝倭人条」と言い、「三国志のなかの魏の国に関する書、その中の東の野蛮人についての伝、倭人に関すること」といった意味です。「倭」というのも「人に委ねる」、従順で自立性に欠ける人々の意味だ、といった説があるようです。